115.社内報
 山梨県に転勤して住んでいる元同僚と会いました。実家に戻っているところで出会ったものです。容姿も性格も全然変わっていなくて懐かしさで一杯になりました。
 当時、彼女は社内報「紀の国」の編集長で、熱心に取材に出かけ記事をまとめていたのを思い出します。社内報は毎月発刊でしたから、締め切りが終われば直ぐに翌月号の準備に取り掛かるので時間に追われていました。半年分の特集を事前に決めておき、資料と写真収集とインタビューの日程調整、従業員さんへの原稿依頼など大変な仕事でした。
 出来上がったものは冊子という形で残りますが、記録として残る仕事は後で振り返ると最も充実感があります。何故なら、私たちはその都度大切な仕事を抱えて方針を考えて実行していきますが、その時に重要な仕事も時間の経過により価値は薄れ形として残らなくなります。その仕事に関するりん議書はしばらく保管されますが、経営に関するものでない限り通常は3年から5年で、重要文書でも10年程度で廃棄となります。心血を注いだ仕事でも数年で跡形も残らなくなります。会社内においても誰も当時のプロジェクトの苦労を知らなくて、自分だけが知っている苦労話という結果になります。「あの時はこうしたああした」と酒の席で後輩に話すだけになるのは寂しいものです。

 ところが社内報は会社の記録ですから長く保管されますし、月刊誌として全員に配布されますから残している人もいる筈です。特に自分のことが掲載された号は残すのではないでしょうか。私も自分の書いた文章が掲載されている号は、読み返すことはないのですが持っています。このように形として残る仕事は生き続けます。
 ただ自分の書いた社内報の文章や過去のレポート、論文を読み返すとレベルが低くて恥ずかしくなることがあります。書いた当時はそれで良いと判断してのものでしたが、今とは全く違うことに気づきます。でもその上に立って今があるのだから、過去も良しとすべきでしょうが。

 社内報で歴代支店長が書いた巻頭言を別刷りでまとめた冊子は、社史を表すものとして時代を知るためにも未だ保管しています。他にも健康管理室の方が書いた健康に関するコラムは、その後その方が退職した記念に自費出版され、一冊頂戴したものを大切に保管しています。

 文章はその人を知るのに最適です。書かれた内容や引用で人格や教養が恐ろしい程に分かります。他人が書いた論文やオリジナルな文章には個性が出ていますから読むと面白いのもので、良くて出来たものは保管しています。私の場合、余程のことがない限り読み返すことはしませんが、良い内容は必要な場面で自然に思い出すことが出来ます。  
 多くの人の文章を読むことは勉強になり役立ちます。余談ですが、私が議会の一般質問を作成する場合は何も見ませんし参考文献も用いません。頭に浮かんでくるアイデアと言葉を数時間で一気にワードに叩き込みます。それをプリントアウトして不完全な部分と説得力の弱い箇所を補った上で推敲を行い完成です。
 勿論、アウトプットするためには新鮮で有益な情報をたくさんインプットしておく必要があります。10のアウトプットをするためには、数倍インプットしておくのは当然です。
 社内報でも必要なネタを出来るだけ多く集め、編集作業で不要なものを削ぎ落とします。
それでも特集に物足りなさがあれば再度情報を集め、発信しようとするテーマ内容を補強していきます。事前の準備と自分の主張の確立、主張への裏づけとデータなどの当てはめが骨格となります。

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