93.肢体不自由であること
 年長組になった翌年は、幼稚園から小学校に入学するのは当然と思っていました。でも自閉症の子どもや肢体不自由の子どもはストレートに入学とはいかないのが現実です。年長組の子どもが秋になると保護者と面談があります。俗に言う就学指導です。ここで教育委員会から小学校に就学困難だと判断されると、養護学校または小学校の仲良し学級を勧められます。肢体不自由な子どもを育てている保護者は、ある程度覚悟をしているとはいえども厳しい現実に衝撃を受けます。幼稚園まではほかの子どもと一緒に遊び学べるのに、小学校では別の道を歩まざるを得なくなります。

 小学校ではバリアフリー化が進められていないこと、限られた予算のため改修は難しいこと、看護士または医師免許ある人を常時配置することの可能性は低いなどの理由から、現実問題としては環境が整った養護学校を勧めるのは仕方ないことかも知れません。
 でも子どもにすれば、まだ明らかになっていないし、試してもいない自分の人生の可能性をその時に関わる大人によって狭められるのです。自分が限界を悟るのではなく、他人から可能性の枠を狭められるのは通常の人にとっては耐えられないことです。それが肢体不自由な子どもだと、平然と物事は機械的に進められていきます。これはおかしくないのか疑問が沸きます。

 その子どもに関わる教師や校長先生の人柄によって将来は大きく左右されます。ある自閉症の子どもは、小学校入学前の就学指導で養護学校を進められました。両親は自閉症でも皆と一緒に勉強をさせたいし、一緒に大きくなって欲しいとの思いから小学校入学を願い出ました。その時の校長先生が責任を持つからと教育委員会に意見を述べ、その校長先生の責任において小学校へ入学出来たのです。今ではその子どもは小学校4年生になりました。まだ自閉症なのですが小学校へは休まないで通っています。両親はすべての責任をとると体を張って自分の小学校へ迎え入れてくれた当時の校長先生に深く感謝しています。
 要は責任をとれる覚悟がある人がいたなら、道は開けますし子どもの将来は確実に変わります。擁護学校が悪いとは思っていません。介護が必要な子ども達のためにも大切で必要な学校です。でも小学校でも養護学校でもどちらにも就学の可能性があるならば、両親の判断を尊重して相談に乗り、迎え入れられるための準備をして欲しいものです。

 肢体不自由という理由で、機械的に保護者に対して養護学校が適していると告げるのは教育者としての対応とは思われません。義務教育課程の小さい子どもに思いやりと愛情を注ぐのが教育者です。小学校に入学が出来ないとしても、心の通った相談体制と言葉が欲しいのです。画一的な対応をしているのでは公立教育への不信感が募るばかりです。
 和歌山市のある養護学校では現在、週に三回介護士が来てくれ子ども達の介護に当たってくれています。この制度に関しては、三年間の予算を確保していたのですが平成16年度が最終年度です。平成17年度、つまり来年度の介護士派遣の予算は未定だと言います。ハード面の整備は予算面から難しいのであれば、ソフト面の充実を図る必要があるのですが、それですらカットの対象となっている感性のなさに驚きます。
 行政の役割は、所得に応じて公平に集めた税金を弱い立場の人に配分することも、その役割の一つです。声が大きくない少数者のための福祉を行政が切り捨てるのなら、誰が弱者の立場で物事を進めるのでしょうか。今の日本の社会では、行政だけが弱者の立場で仕事を進められるのです。行政も競争にさらされている、市場化に対応する必要に迫られているのは理解できますが福祉施策も忘れてはいけません。
 
 肢体不自由な子どもと保護者にも、就学可能な範囲で望む環境を実現させて欲しいのです。今日幼稚園を訪れましたが、幼稚園の授業では健常児も肢体不自由な子どもも何の分け隔てもなく同じように遊び学んでいました。心に曇りがないバリアフリーのコミュニティが自然に実現しているのです。それを大人の都合で別々にすると、子どもの心に肢体不自由児は別の世界の人だと刻まれます。人を区別するものは人の心ですから、少なくとも教育に携わる人達には、子どもの気持ちを無視するような発言と態度をとらないことを望みます。
 保護者の方の気持ちを知っていただくため手記を以下に記します。
 
「就学指導を受けて感じたことですが、前向きに親の意見を聞かずに、現状の小学校と養護学校と比較して養護学校の方が良いと考えたとしか思えないのです。小学校に入るにはどういう障害があり、それをどういう様に対応していけばクリアできるのかという前向きな姿勢が感じられませんでした。
 今後も色々な子どもが小学校へ行きたいと言ってくるでしょうが、その時は機械的ではなく前向きに考え対応して欲しいものです。予算ばかり言っているのでは何のための教育者なのでしょうか。
 この子の一番の問題点は、のどに詰まるタンを吸入する必要があり、口内ではなく喉のため医療行為と呼ばれる範囲に入ります。そのため家族か看護士だけがこの行為が出来るだけなので、家族が付き添いで通学する方法しかありません。今の紀伊コスモス養護学校においても週三回看護士が来てくれていますが、医療的な行為は行なっていません。また来年度には予算がなくなるかも知れないのが現状です。三年間の試行のため平成16年度が最後で平成17年度のことは白紙だそうです。多分、看護士への責任問題を避けるために医療行為を行わないのだと思いますが、現役の看護士さんなら病院で何度もタンの吸入行為は行っています。技術的にはやれると思いますが、後は学校長の判断です。
 最後に健常者と障害者が互いに一緒に学んでこそ色々な教育が出来ると思いますし、生徒全員に弱者に対する対応の仕方が自然と身につき、思いやりのある子どもが育っていくと思っています」

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