37.ポール・クルーグマン
 情報の近くにいるよりも、情報の中心から離れている方が良く本質が見える。本来、情報発信元に近い方が、早くて正確であるような気がするため、少し分かりにくいのですが、クルーグマン教授の言葉をからすると以下の理由によります。
 記者仲間のほとんどはワシントンに住み、同じパーティに行く。このこと自体が集団的思考を生み、ジャーナリストの共通認識が形成されることがしばしばある。
 ニュージャージーで仕事をしている私は、共通認識に組みしない。ジャーナリストの仕事は、内部情報を取ることである。政府高官からのリーク、権力者への親密なインタビュー。
 これはジャーナリストを危険にさらす。特別な情報提供の申し出に誘惑されることもあるし、生命線である情報ソースから閉め出される恐れもある。私は、ほとんどの場合、公表されている数字や分析に頼っているだけである。だから政府高官に気に入ってもらう必要もないし、常に人に気を使いながら記事を書くこともない。

 なるほど、スタンフォード、MIT、プリンストンという一流大学で教えてきた、国際経済学者であるクルーグマン教授ならではのものです。公表されている数値だけを頼りにすると、よほどの分析能力がないと平凡な記事が記されるだけです。通常の人なら、より情報元へ近づかないと新鮮な記事は書けません。

 でも、原理原則を理解しているなら、公表データがそれに沿っているか否かは容易に分かりますし、何故その差は起きているのか分析することも可能です。権力者側の情報だけに左右されない分だけ正確になります。情報ソースは複数から収集し、公平でなくてはいけません。

「Losing Our Way in the New Century」に納められたコラムは、もうひとつの現実を私達に知らせてくれています。21世紀はアメリカの世紀ではない、とも訳が可能なように、世の中はひとつだけの正義を中心に廻っているものではありません。人間は正義と悪の側面を有しています。ある時は正しく、ある時は逆の場合があります。リーダーとなる国や人は必要ですが、全て正しいと思うのではなく、是々非々を判断できる良識と知識を有しておきたいものです。
 
 情報や世論にも流行はあります。自分のものさしを持っていないと、マスコミを初めとする情報に振り回されるだけになってしまいます。自分のものさしを持つには、自分で現地を確認することにより見聞を広げることは勿論、その分野の優れた人物の論文などを判断の目安にするのが効果的です。
 自分のものさしを正確に測れるように質を高め、世の中を測ってみたいものです。

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