平成20年
9月17日(水)
@.平成20年9月
 和歌山県議会一般質問 内容
  【 質問内容一覧 】
     (1)和歌山県の偉人を敬う教育について
     (2)防災対策について(資料配付)
     (3)関西国際空港の位置づけについて
     (4)NPOサポートセンターについて

 おはようございます。ただ今、議長からお許しいただきましたので、通告に従いまして一般質問をさせていただきます。どうかよろしくお願いいたします。

○和歌山県の偉人を敬う教育について

 先月、福島県の野口英世記念館に立ち寄りました。ここでは郷土が生んだ偉人の生家を200年間も保存している上、隣接地に記念館を設立していて数々の縁の品が展示されているのです。  
 郷土の誇るべき人物に何時でも接する機会が提供されていることで、子ども達は故郷を誇りに思いますし、郷土の偉人の功績を風化させずに、次の世代に伝えることになります。
 特筆すべきことは、野口博士が没した1928年に野口英世博士記念会が誕生し、1938年に財団法人が発足、翌年には記念館が開館していることです。 
 そして1954年には福島県が登録博物館として位置づけしています。

 ところで福島県には、須賀川町出身の東京オリンピックで銅メダルを獲得した円谷幸吉選手やウルトラマンを生み出した円谷英二さんもいます。須賀川町には円谷選手の記念館が、福島空港にはウルトラマンのオブジェがあるなど郷土の偉人の功績を伝える場所があります。
 大人が知っている郷土の偉人を、誇りに思う姿勢が子ども達にも伝わっていることだと思います。

 ところで、和歌山といえば紀州五十五万五千石で形容されているように、歴史の重みのあるまちとして誇らしいのですが、明治時代以降の郷土の偉人の存在は余り知られていません。
 ですが、和歌山城に隣接している岡公園の中に松下幸之助が建設した和歌山市立児童女性会館があり、ここには松下幸之助と奥様のレリーフが飾られています。
 また会館の入口には、保田龍門の作品「母と子の像」が設置されています。
 松下氏と保田氏は郷土のために尽くしたいと思って、この会館建設のために協力してくれています。

 そして会館の隣には陸奥宗光の銅像が設置されています。陸奥宗光の銅像を建立したのは、当時の大橋和歌山県知事、宇治田和歌山市長を初め経済界の歴々で、この銅像の前に立つと、和歌山県民が陸奥宗光を誇りと思い後世に伝えようとする意思が伝わってきます。

 陸奥宗光の父親伊達宗広氏は紀州藩の武士階級でしたが、伊達宗広氏が政争に敗れて藩を追い出されたことから、子どもの行く末を紀州藩主は心配していました。そんな折、江戸幕府から紀州藩に勝海舟がやってきて、紀州藩主は勝海舟に「伊達氏の子どもを預かってくれないか」と依頼し、勝海舟は神戸の海軍操練所に連れて行きました。
 勝海舟が紀州藩にやって来た時に腰を掛けた石は今も和歌山市内に残されています。その石の後ろには石碑が建てられています。和歌山市内にいる人でも、この場所を知っている人は少ないと思います。

 この時、勝海舟はそれほど期待をして陸奥宗光を連れて行った訳ではなかったようです。そこで坂本龍馬に頼んで海援隊で鍛えてもらうことにしました。預かった坂本龍馬は他の若い人と同じように扱っていましたが、やがてほかの若い人と違うことを見出します。彼が言われた仕事だけをするのではなくて、言われる仕事を先回りして後工程がスムーズになるように配慮していることを見抜いたのです。
 この頃の坂本龍馬が、「二本差さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」と言っているように、その才能を発揮しています。
 頭の良さを感じた坂本龍馬は陸奥宗光を可愛がりますし、勝海舟にもそのことを伝えます。陸奥宗光が勝海舟の弟子でもあり、坂本龍馬の弟子でもあると言われているのは、このためです。

 二人の幕末の巨人に鍛えられた陸奥宗光は、後に明治政府で1894年に伊藤博文内閣の外務大臣となり、近代日本の悲願であったイギリスとの間で締結されていた不平等条約を撤廃させることに成功しました。関税自主権の一部回復(後に小村寿太郎により完全撤廃されます)と、領事裁判権(治外法権)の完全撤廃を言いますが、この不平等条約改正は当時の国家的課題で、わが国の国家主権を取り戻し、欧米諸国と対等な立場に立つことのできた歴史上特筆すべき事件でもあります。
 以降、アメリカ、ドイツ、イタリア、フランスとの不平等条約を改正し、日本が締結していた15カ国との不平等条約の全てを改正し、治外法権の撤廃を成し遂げています。この実績は歴代外務大臣として日本の政治史上に燦然とその名を残し、今なお輝いています。

 それを証明するものとして、外務省には陸奥宗光の銅像が飾られています。歴代外務大臣は何人もいますが、外務省に銅像が飾られているのは陸奥宗光ただ一人です。
 しかし和歌山市内にはその功績を偲ばせてくれるものはありません。かろうじて、和歌山市吹上に陸奥宗光の生誕地の碑が存在し、民間の方が整備と管理をしてくれています。

 他にも高橋克己博士の存在があります。ビタミンAを発見したこの農学博士は、今だったらノーベル賞級の大発見をしています。先の三人と比較すると知名度では劣りますが、その功績は勝るとも劣りません。

 また和歌山市民図書館三階には、和歌山市出身のヘンリー杉本画伯の絵画が展示されています。和歌山市で生まれたヘンリー杉本氏はアメリカに渡りますが、太平洋戦争が開戦されたことにより収容施設に入れられます。三年間そこで過ごすことになりますが、その体験を基にして収容施設の生活や出来事を作品として仕上げています。
 和歌山市役所一階ロビーには、ヘンリー杉本の書いた巨大な絵画が飾られています。

 そして県庁本館には保田龍門の、古事記に登場する紀北の神話と紀南の神話の二点のレリーフが飾られています。いずれも全国に誇れるような作品で、県庁が美術館のような役割を果たしています。この作品も、県庁を訪れる方に案内するとか、小学生が来てくれた際に説明をして欲しいと思います。

 また、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士も和歌山県とご縁があります。湯川秀樹博士の両親、小川琢治(田辺市生れ)と小雪は和歌山市に住み、琢治は和歌山中学で学んでいます。湯川秀樹に漢文を教えた祖父駒橘(小雪の父)はかつて和歌山城の武士で、初代和歌山市長、長屋喜弥太の実弟でもあります。

 秀樹が養子に行った湯川家は日高の出身でもあります。このことは、湯川秀樹の『旅人』に書かれています。そのため、湯川博士を和歌山県出身といわれることがあります。事実、1949年に湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞したことを報道した朝日新聞では、和歌山県出身と報道されていたようです。
 そして湯川博士の父親である小川琢治氏のお墓は今も和歌山市吹上にありますから、やはりご縁があると言えます。

 和歌山県出身の偉人は大勢いますが、湯川秀樹博士は和歌山県で住んだことがないのでその中に入っていません。
 何も無理に和歌山県と結びつける必要はありませんが、ご縁があるのであれば和歌山県の生んだ偉人の一人として誇りに思いますし、和歌山県の子ども達に紹介して欲しいと思います。子ども達の理数系、そして物理学離れが進展していると聞きますが、湯川博士を身近に感じてもらえるような読み物や紹介方法があれば、和歌山県の小学生から高校生までの生徒は、郷土の偉人を知ることから物理学に興味を抱いてくれることになるかも知れません。

 郷土の偉人の功績や足跡を記した教材があれば、今よりももっと目標が身近になり、郷土に誇りを持つことになります。その結果、物理学でもその他の分野でも人材が誕生してくれたら、和歌山県の教育の成果だと言えます。  
 それを目指した取り組みを実施してもらいたいと思います。

 ところで、県の広報誌「和」の中で、知事は岡崎久彦さんとの対談で、陸奥宗光の功績を初めとする「史実を、きちんと子供たちに教えなければならない。せめて和歌山だけでも郷土教育をきちんとしようじゃないかと、思っています」と話しています。その前段には「教科書にはほとんど掲載されていませんが明治維新の紀州藩は、日本の近代化に重要な役割を果たしていたことがわかります」とも話していますし、最後には「最も大事な地域資源は人材です。教育に力を入れて、世界や日本に貢献できる若者を育てていきたい」として締めくくっています。

そこで提案と質問です。
(1)郷土の偉人、陸奥宗光をふるさと教育などで是非とも取り上げていただきたいと思いますが、陸奥宗光に関して知事はどのように思っているのか、まず、お聞かせいただきたいと思います。

(2)桐蔭高校では、一度だけ湯川博士に関わる記念講演を実施していますが、現時点では、それ以上の取り組みも拡がりもありません理科系を志望する子ども達にノーベル賞の夢を与えるためにも、継続的に機会を見つけて「湯川振興」をすべきと思いますが、知事の見解をお示し下さい。

(3)平成17年3月に教育委員会は「子どもたちの未来を切り拓く和歌山らしい学びを創るために」の報告を受けています。
 その中において、「日本に誇る豪快な生き方をした和歌山の先人の生き方を教材化する」とあり、陸奥宗光も施策提言の中に記載されています。この時から3年が経過していますが、この点どうなっていますか。
 教科書への陸奥宗光に関する記述を、史実に基づいて詳しく掲載する働きかけは如何でしょうか。
 加えて和歌山県として副読本など形を持ったものとして、郷土の偉人の功績を子ども達に教育をして欲しいと思います。
 教育長に答弁をお願いいたします。

(4)修学旅行において国会議事堂を訪れる場合がありますが、この時に外務省を修学コースに設定して、陸奥宗光元外務大臣の銅像を見学して欲しいと思います。
 郷土の偉人が外務省敷地内で、唯一飾られている外務大臣の銅像になっていると知るだけでも学習効果があると思います。郷土の先輩に続いて、将来、この国を担う人物になろうと志を立てる学生を排出する可能性もあります。

 また、県内にこれらの偉人の功績の品々や展示するだけの一級資料もないと思いますから、今さら記念館を造る訳にはいきません。しかし和歌山市の岡公園には、これらの偉人の銅像や作品が残されています。
 野口英世記念館まではいかないとしても、岡公園に偉人の青空偉人博物館として、県庁と市役所、市民図書館と勝海舟の座した石と陸奥宗光の生誕地など、和歌山県の偉人を巡る教育の一環としての見学コースとして整えてして欲しいと思います。
 加えて、和歌山県下の小中学校の遠足コースとしてみるのは如何でしょうか。また和歌山城の遠足や社会学習の際にここを訪れることは、私達の先輩を知る大切な機会になると思います。
 これも教育長にお願いいたします。


○防災対策について

 次に防災対策についてです。
 和歌山県の最大の課題のひとつが東南海・南海地震に備えるための防災対策です。
 阪神淡路大震災の時の教訓は、生命を失った原因の大部分は室内対策が講じられていなかったことにあります。まず室内のタンスやテレビなどが吹っ飛んでしまい、それで生命を落とし、その後、家屋が倒壊して下敷きになっている場合が多いのです。
 ですから室内対策は生命を守るためにとても重要な考え方であり、室内対策こそが防災なのです。災害が起きてからの対策と区別して考えるべきです。
 新潟中越沖地震や岩手宮城内陸地震の時の写真をお配りしていますので、ご覧下さい。写真からお分かりになると思いますが、テレビやピアノ、靴箱などが転倒しています。耐震補強は建物を壊れにくくしていますが、室内の安全確保を約束してくれるものではないのです。

 県内においても、東南海・南海地震の被害が高いと予想されていて防災意識の高い串本町では、保育園や幼稚園のピアノを固定する室内対策を講じています。県内では先進的な取り組みで、このことはNHKニュースでも取り上げられています。大地震になると、重量物、危険物ほど吹っ飛んできますから、ピアノやタンス、テレビや本棚などを固定しておくことが必要なのです。
 NHK報道によると、ピアノなどは専門家による室内対策を講じておくと震度7でも固定された状態だそうです。
 このように串本町の防災対策は進んでいて、町立保育園や幼稚園での重量物であるピアノ類の転倒防止器具取り付け工事を完了させています。東南海・南海地震では津波の被害が最も大きいとされている串本町ですから、防災対策には力を注いでいる訳です。
 ところが串本町の後に続く地方自治体が少ないのが現状です。危機感の違いにも依るものでしょうが、私立保育園ではピアノなどを固定しているところが何箇所かありますが、公立での取り組み意識は低いように感じます。
 和歌山市にある私立むつみ保育園では、園児の安全を確保するために園内に室内対策を講じています。ピアノ、ロッカー、本棚、テレビなどはしっかりと固定し、窓ガラスは飛散防止シートを張り付けている個所と、割れないアクリルガラスに取り換えている個所があります。動く可能性のある重量物は全て固定し、いつ大地震が襲って来ても大丈夫なように最大限の事前対策を講じています。
 配布させていただいた新潟と岩手の災害の時の写真をご覧いただくと、お分かりになると思いますが、ピアノや整理箱などは倒されています。動かないと思っているものが簡単に飛ばされてしまうのです。

(1)幼稚園や保育園の児童施設の室内対策の現状はどうなっていますか。また今後の計画についてお示し下さい。
 答弁は危機管理監にお願いします。

 また阪神淡路大地震の時にはドアが歪んで、マンションの扉が開かなくなってしまった例があります。近くで火災が発生した場合には、マンションが無事だったとしても、室内から外に逃げられなくなり生命の危機を迎える危険性もあります。玄関扉対策を講じているマンションや公営住宅は少ないのではないでしょうか。阪神淡路大震災直後の平成7年、平成8年には、大阪市では公営住宅の玄関扉への防災対策が講じられています。市民の生命の安全のために、大阪市は実に迅速な対応をしています。
 ところがこの後に続いていないのです。全国の地方自治体の公営住宅で、扉対策を講じているところは少ないと思われるからです。防災対策として地方自治体がまず生命を守ることを考えるのであれば、室内対策を講じようと考えるのが普通です。

(2)県営住宅のドア対策の現状はどうなっていますか。これからの対策の進め方についても、危機管理監からお答え下さい。
 
 避難所生活に関して。避難所は体育館や公民館での生活になる場合が多いのですが、避難所にピアノや棚などがそのまま放置されている場合があります。余震による二次被害を防ぐためにも避難所と指定されている体育館や公民館の備品に対して、室内対策として金具などで固定する対策を講じておきたいところです。
 使用する金具は信頼できる第三者機関で実証実験したものである必要があります。安いからと言って、効果の薄い金具を使用した室内対策を講じても、震度6強クラスの大震災が発生した場合には何の効果もありません。ですから地震対策用として、第三者機関が認めたものを使用したいところです。安全対策を講じて初めて安心できるのです。

(3)避難所として指定されている体育館における事前対策の現状について、危機管理監からお答え下さい。

 一方、企業においてはBCP(事業継続計画)対策を意識しているものの、具体的対策を応じていない企業が多いことが課題です。静岡県や滋賀県では地元金融機関が企業に対してBCP対策の必要性を訴えています。何故なら、大震災で企業が打撃を受けると、それらの企業に貸し付けをしている金融機関が困るからです。
 地震対策が遅れていると言われている岡山県でも、東南海・南海地震を想定した「企業の自主防災と社会貢献」レポートを報告しています。これをまとめた代表幹事は中国銀行頭取が務めています。
 このように静岡銀行、滋賀銀行、中国銀行が地域の企業に対してBCP対策を勧めています。行政機関と金融機関が連携して、地域の企業へ対策の必要性を訴えて欲しいところです。

(4)県と地元金融機関とのBCP対策の連携、および、和歌山県防災対策推進条例を県内企業全てに周知することが減災対策につながると思いますが、条例の周知と徹底についての取り組みはどのようになっていますか。危機管理監からお答え下さい。


○関西空港の位置づけについて

 関西空港の位置づけに関しての質問です。七月以降の議会報告会で一番数多く質問されるのが関西空港に関してのものです。その多くは、大阪府や兵庫県は伊丹空港の必要性や関西空港のあり方について議論している様子が報道されているのに、和歌山県からの発信がないまで和歌山県として関西三空港をどう思っているのか分からないと言うものです。そこで今回、知事お考えを伺いたいと思っています。
 大阪府橋下知事は今年7月31日に「伊丹空港の廃止も含めて検討し、きちんと方向性を出さないといけない」と発言しています。伊丹空港の廃止も含めて三つの空港のあり方に関しての議論を、仕向けようとしています。
 その後、橋下知事が国土交通省を訪ねた際の懇談の中で、国道交通省は「関空の立て直しに全力を挙げて取り組む。伊丹空港は何が何でも存続というわけではない」と応じたと報道されています。
 和歌山県の長期計画でも関西空港のあり方について項目があります。また国内三つの航空会社が関西空港便、十数便を減便する方向で、このままで三つの空港を存続させるのであれば、どのような役割分担を担うべきかの方向性を出さなければ、関西空港の位置づけは益々低下すると思います。
 この点、知事はいち早く国土交通大臣にも関西空港にも話し合いに行くなど行動力を発揮していますから心強いものがあります。

 質問です。
 今後、三空港を一体的に運用するのか、関西空港にシフトして行くのかの考え方、知事が言うところの「伊丹空港の利便性を考えるのか、関西全体の長期的な発展も考える」のか、三空港のあり方について。
 また9月11日、大阪府知事、神戸市長、関空会社のに三者は、空港の経営主体を関空会社に一本化し、一元管理と運営すべきだとの認識で一致したようです。地元でまとまって国を動かしたいとするこの動きに関して、利用促進対策も含めて、知事の見解は如何でしょうか。
 

○和歌山県NPOサポートセンターについて

 和歌山県のNPO活動は活発です。地域の元気の一部をNPO活動が支えているのは間違いのないところです。今ではNPOの活動は域振興の一部に組み込まれているところもあり、行政機関と各NPO法人をつなぐ中間支援組織の重要性はますます高まっています。
 平成20年9月9日現在、和歌山県にあるNPO法人の数は285団体、認可申請中のものを加えると291団体になっています。200団体を超えたのは、最近のことように思いますが、随分NPO活動の取り組みは進展しています。
 平成21年2月11日には、NPOフェスタを和歌山ビッグホエールで開催する計画があり、参加者数は一万人を目指しています。
 中間支援団体が運営している組織に和歌山県NPOサポートセンターがあります。県が指定管理者制度を使って、NPO法人わかやまNPOセンターに運営を委託しています。指定管理者制度を導入してから、センターへの来場者が50%も増加していますし、相談業務は運営を開始してからの2年間で1,510件に及んでいます。平成19年度の来場者数は8,760人で、対前年比18%の増加、指定管理者制度導入前と比較すると50%増となっています。
 実績は数字だけではなく、団塊の世代の地域デビュー支援事業や企業の社会貢献などの支援活動を行い、従来の活動領域を拡げています。
 ところで、和歌山県NPOサポートセンターが来年度に廃止されるとの情報が流れ、県内のNPO活動家は存続すべき理由を添えた行動を起こしています。
 このためNPOサポートセンターの存続を求める署名はNPO法人を初めとする約330団体、6,700人を超える個人署名が集められ、7月23日、知事の元に届けられています。
 参考までに和歌山県NPOサポートセンターは、この夏休みに大学生のインターンシップを三名も受け入れています。
 ここでは表現しきれないほどの実績を残している和歌山県NPOサポートセンターは、今後のNPO法人の活動を支援するために残すことが必要だと思います。

そこで質問です。
(1)長期総合計画でも「NPO法人の設立数が全国有数である」と評価しているように、全国的にも熱心だと評価も聞こえてくる県内のNPO活動についてどのような認識を持っていますか。

(2)NPO活動が活性化している現在においても、支援組織としての和歌山NPOサポートセンターの存在意義と重要性は、従来と何も変わっていないと思いますが、この施設のあり方についてのお考えをお聞かせ下さい。
 この二点については知事に答弁をお願いいたします。
 以上で第一問を終わります。ご清聴ありがとうございました。
 以上

 A.答弁へ


平成20年9月 和歌山県議会一般質問について


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