平成17年 6月 2日(月) 
富士社会教育センター政治専科コース

研究論文「地方議会の定数問題について」
和歌山市議会議員    片桐章浩

1.はじめに
2.地方議員の役割と地方自治法
3.地方議員定数について
4.議員定数を見直し出来ない理由
5.終わりに


1.はじめに
 地方議会の定数削減が問題提起されている。各地方自治体においては行財政改革は紆余曲折がある中でも進展しているが、議会改革は進んでいないのが現状である。地方議員の定数は昭和22年に制定された地方自治法第90条と第91条が根拠となっている。市議会における議員定数は次の通りである。
 人口50万人から90万人未満が56人以内、30万人から50万人未満では46人以内、20万人から30万人未満が38人以内、10万人から20万人未満が34人以内、5万人から10万人未満が30人以内、5万人未満は26人以内が定数である。
 現在の地方議会の定数はこの議員定数より下回っているため、議会も自ら痛みを伴っての努力をしているからそれで良いと考えているような感がある。さて地方議員の定数は現行で妥当なのか、妥当でないとすれば何故減らすことが出来ないのかを論じる。


2.地方議員の役割と地方自治法
 地方議会議員の役割は、地域の声を議会に反映させることが目的だと言う意見がある。地域の支持を得て選出されているため、地域からの意見を十分に聞き取り議会活動で反映させることが務めであることは当然に認める。
 しかし地方議員は、選挙区全体の発展と利益配分を考えることがより重要な役割であることを認識すべきである。
「議員の中に自分が選挙基盤とする特定の地区のみを代表しているかのような行動がみられるが、議員は、いったん選ばれた以上、単なる特定地域の代表ではなく、議決機関の意思形成者として全体代表の行動が求められる」(注1)のである。
 議員定数を減少させることに反対の立場にある者は、議員を減らすと地域の意見を十分に吸い上げられないとの理由を主張するが、特定の地域の代弁者でないことが地方議員の役割であることからすると、その理由としては弱いと考える。
 地方自治法制定当初は、現在のように民主主義が成熟している時代はなかったため、より多くの地方議員を議会に輩出し、議場において議論を交わす方が民意を反映させることが出来たので存在意義はあった。
 わが国の地方自治は、首長と議員を直接選挙によって選出する二元代表制を取り入れているのは、執行機関と議決機関の役割に関して抑制と均衡を担うことを期待されてのものである。そのため情報が集まる量が多大で、専門の行政職員を配し調査能力のある執行機関に対して、地方議員は自らの情報収集と調査研究により対抗する必要があるため、ある程度の議員数が議会にいないと均衡が保てない側面があったと思われる。
 高度成長に伴い、行政機関に権限が集中する行政肥大化現象が見られたことからも、このことは伺える。
 ただし、高度成長期、バブル期、バブル期以降の低成長期を経て、今までよりも少しは民主主義が成熟してきた現在においては、行政機関が絶対的権力を持つ存在ではなくなっている。民意の高まりによる情報公開やパブリックコメント制度の導入などにより、市民レベルで行政施策に意見提言する場面が設けられ、歯止めも掛けられる状況となっている。
 また情報化社会の進展により、かつては行政が一元的に独占してきた地方自治運営に関する情報も、ほぼ同時期に市民が入手出来る環境が整ってきている。行政が権限でも情報でも優位に立つ時代ではなくなっていることを認識すれば、地方議員のあり方も当然変わるべきである。


3.地方議員定数について
 今回は議員定数の問題を考察しているため定数問題に絞って考える。権限を有していた行政に対して対等に議論するためには議員の数も必要であった。しかし、前述の理由から行政が暴走する危険性は少なくなり、直接民意を反映させるしくみを構築している中において、単に住民の代表としての、特に特定地域の代表であると意識を持っている地方議員の存在意義は極めて無に等しいものになっているのである。情報公開の時代であり、かつ情報化社会でもあり、そして情報は双方向性に流れる性質を持っているため、民意は直接行政機関に伝えられているのである。
 言うまでもなく情報は価値を有するものとして捉えられているので、情報発信に近い立場にある者が権限を有している。地方議員は日常の活動において様々な情報が自然に蓄積されるため、他よりは情報の優位性があったのである。しかしこれも過去の話である。筆者は自身のホームページで地方議員の立場として得られた情報は公開しているし、時代の流れが速い現代において情報を発信せずに蓄積しておいても、何の役にも立たないことは活動を通じて理解しているからである。
「情報という資源は日常の経済活動を行っていれば、自然に蓄積されるという性質をもっている。仕事をしているうちに経験や熟練(これも個人の名から蓄積される情報である)が蓄積される」(注2)ものであり、サービス産業化が進み、インターネット人口が増えている現代は、過去のどの時代よりも社会と接点の多い時代であることから、情報はその気があれば誰でも収集出来るものになっている。従って地方議員の活動で得られる程度の情報は誰でも得ることが可能で、情報における地方議員の優位性もなくなっているのである。つまり日常活動を通じて得られる情報も市民とそう差異はないのである。

 つまり、わが市は法定で定められた定数よりも減員していると言ったところで、昭和22年に制定された古い法律の地方議員定数に定められ定数は、時代とそぐわないものになっているため現状通りでは済まされないのである。
 法律にあるから問題はないとの反論もある。しかし法律は全て時代の後追いをする性質のものである。何か不具合が発生すると、制定または改正する方向で立法化されるものであることからも明らかである。従って、少なくとも地域のあり方を議論し、将来のビジョンを語る立場にある地方議員は、時代を先取りするだけの能力と行動力が求められているのだから、古い法律に記載されている定数以下なら問題はないと考えるのではなく、私達の市から時代を変えていく位の気概を持つべきである。

 改革派で評判の我孫子市福嶋浩彦市長は次のように話している。
「議員定数を思い切って減らして、そのかわり議員の活動を充実させる。活動費もきちんと保障するし、議会事務局のスタッフも法制スタッフや政策スタッフをきちんとおいて議員立法をやる議会になってもらう」(注3)
 徹底してやると抱負を語っているが、周囲から求められての改革ではなく、議会が自ら議会改革の先頭に立ち浄化作用を有していることを示すことが必要なのである。


4.議員定数を見直し出来ない理由
 では何故地方議会の定数は、民意から求められる水準まで減少させることが出来ないのであろうか。
 一つには、適正な定数を理論で図ることが出来ないことがある。どの規模の市ではどの程度の地方議員が適しているかの理論化が図れないので、強力な改革意欲のある地方議会でない限り定数是正は難しいのである。

 二つには、しぶとさである。これについては海外からの視点を引用したい。「日本のような、家柄や富ではなく、能力に基礎をおく指導者というものには、恐るべきしぶとさがあるものである。信用をなくし、敬意失った後も、長い間力を持ち続ける」のである。(注4)

 三つには、地方議員そのものが職業化していることが上げられる。地方議員を職業とすれば定数を減らすことが自らの職業を奪うことに直接的につながるものである。自分達の職業は自分達で守る行動をするのが人間である。一例として、成果主義が導入された企業においては自分の成果を達成することに邁進するが、これも自分の立場、言い換えれば職業を守るためである。リストラに脅かされている中間管理職が守ってくれる組織が無いため管理職組合を結成しようとする行動も職業を守るためである。
 アメリカでは「州によっては、まっとうな職業をもっていなければ議員になれないところさえあるらしい。これまた、政治そのものが職業にならないための工夫である」(注5)
 職業を持ちながら民から公へ参画するために地方議員になる制度とすれば、議員定数を減少させることは今よりも容易になると考えられる。

5.終わりに
 最後に、地方議員の役割を最後まで果たそうとする気持ちを、各地方議員が持ち合わせていることも指摘しておきたい。少なくとも地方議員を志した者は、自分が住んでいる地域を良い市にしたいと理想を描き実現したいと思って立候補した筈である。自分の夢が現実のものになっていない状況下で志を引き継いでくれる後継者がいなければ、自分の志を自分でやり遂げたいとの思いを持っているのではないだろうか。

 資生堂会長の福原義春は社長を退く時の感想を次のように述べている。
「もう十年も社長をやってきたではないか。それなのにまだ自分の理想とするまでの会社改革が進んでいない。それは自分の手でやり通さなければいけないのだろうか。また一方ではあっという間に十年が経った。社会的には私も居座ってはいけない年齢になってきた。しかも外部環境はどんどん変わる」(注6)
 地位を離れる者の心境が良く伝わってくる。議員定数減らすに当たっては、自分でやることがあるから地位を確保するために減少させないで欲しいとする方向に動くのも事実であり、社会情勢に応じて改革を進めるべきだとする意思も持ち合わせている人が多いことも事実であると考えている。

 結局のところ、地方議会定数の問題は理論的な論争にならないため、議会内においても正確な結論を導けないのである。そして一旦その立場に入ると、極めて日本的であるがしぶとさが発生し、容易に入れ替えることは出来なくなるのである。当然、議員定数を減らすことは自らの立場が脅かさせる訳であり、理論ではなくしぶとさにより削減の方向に向かわないことが要因のひとつであると考えるものである。

以上

参考文献
注1 佐々木信夫(2004)、『地方は変われるか』、ちくま新書、187頁。
注2 加護野忠男(1999)、『競争優位のシステム』、PHP新書、107頁。
注3 福嶋浩彦(2003)、『住民自治は国民主権の基礎「がんばろう日本!」』、
国民協議会、18頁。
注4 上田惇生訳、P・F・ドラッカー(1999)、『明日を支配するもの』、
ダイヤモンド社、240頁
注5 加藤秀樹(2003)、『ひとりひとりが築く新しい社会システム』、
ウェッジ選書、180頁。
注6 福原義春(2001)、『会社人間、社会に生きる』、中公新書、192頁。

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