向陽高校の松本泰幸校長先生が令和7年新春に、過年度の卒業生に語った言葉が印象に残っています。それはアイザック・ニュートンの格言を引用して語りかけた言葉です。
「もし私が他の人よりも遠くを見渡せたのだとすれば、それは巨人の肩の上に立っていたからだ If I have seen further, it is by standing on the shoulders of giants.」
今春、成人式を迎える卒業生たちに向けて発信した素晴らしい言葉だと感動しました。これまでも松本校長の言葉は強く心に残っています。令和6年度の卒業式、同年の同窓会総会、そしてこの新春の言葉です。教育者としての経験と知識の上に立つ言葉は、大人の僕の頃にも強く響きます。
この言葉の意味を「学術情報発信ラボ」から引用します。
自分の業績が過去の偉大な科学者たちの研究に支えられていることを認めています。この名言は、学問や科学の世界で広く引用され、過去の知識を基盤に新しい発見をすることの大切さを表しています。学術研究では、先行研究が新しい研究を進めるための重要な基盤となります。
研究者は、まず先行研究を調べ、今ある知識の最前線を理解した上で、新しい発見を付け加えていきます。このようにして、学問は次々と発展し、新たな知識が次の世代へと引き継がれていきます。
「巨人の肩の上に立つ」という表現は、学問の進歩を象徴するだけでなく、過去の偉大な発見者たちへの感謝の気持ちも含まれています。
現代の研究者たちは、過去の知識に感謝し、それを土台にしてさらに前進することが求められています。新しい発見は、過去の知識の蓄積なしには成し得ないことを忘れてはいけません。これは研究者の視点からの説明ですが、社会のあらゆることに通じる法則です。会社でも、県庁の仕事でも、学校の授業でも県政ででもです。その分野で先人たちが築いたこれまでの業績を知り、学び、その上に自分の考えや調べた結果を少しだけ積み上げていく。それが日人としての成長であり、会社や県庁の仕事の成果であり、小さいけれども社会の進歩につながっています。
一般質問をする場合に感じることですが、これまで先輩たちが築き上げてきた質疑と結果の上に、今の議論が成り立っています。過去の議論は無ではなくて、過去からの延長線上に存在していることを感じます。議事録を読むと、その時の質問項目に込めた思いや、県政を前進させようとした気持ちが伝わってきます。全ての議論はゼロからスタートしたものではなく、過去の議論と導いた結果に上に成立しているのです。だから現代は過去のどの地点よりも前進していますし、時代の最先端に立っていることを実感できるのです。恐らく、私たちは過去に到達していない有史以来の最先端の地点に立っているのです。それは私たちが偉いのではなくて、先人たちの積み重ねてきた結果の上に立っているだけなのです。
でもそれは自分を卑下することではなく、自分もまた、巨人の身長を高くしている人類の一員となっているのです。そして後に続く人たちが、この肩の上に立って時代を進めてくれるのです。次の時代になると、現代、肩の上に立っている私たちのことを誰も知りません。
現代の私たちが、これまで生きた個々の人の業績や人生を知らないのと同じです。でも確かに存在していたからこそ、現代の知の巨人はそびえたっているのです。足元から昇ろうとすると到底無理なことですが、勉強をしてきた私たちは巨人の肩の上に立っているので、高校生であっても、過去の偉人の学んだことを知識として知ることができるのです。
つまり知の最先端に生きているので、過去の人よりも遠くまで知識を持って見渡すことができるのです。これは素晴らしい体験であり人生だと思います。