コラム
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2024/11/5
1950    母親の話

令和6年10月14日、森久美子先生の「フラメンコ道35周年記念ライブ」会場で、母親がお世話になったデイサービスのヘルパーさんと会いました。挨拶を交わしたところ、生前週に一度通っていたデイサービスで「私はラフターヨガでお母さんと会っていましたよ」と話してくれたのです。思いがけない話を聴かせてもらうことができたことに感謝です。

その方から聴いた母親の話です。

「片桐さんのお母さんは施設のスタッフ、ヘルパーさんに好かれていました。私はこれまで多くの人のお世話をさせてもらっていますが、あんなに誰からも好かれている人はいません。話しかけたら笑顔で応えてくれますし、『この次はこの運動をしましょうか』と尋ねると『はい、やりましょう。お願いします』と丁寧に答えてくれるのです。実は嫌がらずにこちらが提案した運動をやってくれる人は少ないのです。一言、小言を言う人や嫌がる人もいるので、ヘルパー仲間といつも『片桐さんは素晴らしい方ですね。尊敬できる人ですね』と話していました。それ以前も今も、デイサービスに来てくれる人を尊敬できると話したことは記憶にないのですが、この思いは他のスタッフやヘルパーさんとも共有していました。

笑顔を絶やさず私たちに対しても謙虚で、そして親切に応じてくれるお母さんでした。スタッフに当たる人もいるのですよ。

また私たちは片桐さんの息子さんが県議会議員であるとこは知っていましたが、お母さんは一言も息子さんが議員であることを私たちに言いませんでした。偉そうにすることもなく、特別に選挙を頼むこともなく、控えめで謙虚な人でした。私たちは『片桐さんは凄いね。息子さんのことを自慢することもないし、頼むこともしないね』と話していました。

ただの一度も自慢もお願い事もなかったのです。息子さんのことを楽しそうに話していただけでした。その姿勢だけで『このお母さんの息子さんだから立派な人なんだろうな』と話していました。

片桐さんが母親の様子を見るためにデイサービスに来てくれたことがあるので、私は一度会ったことがあります。その時『息子さんもやっぱり笑顔があり、謙虚で優しい人だな』と思いました。お母さんの性格から考えて、私たちが予想した通りの人だと思いました。

残念なことに、お母さんがデイサービスに通った期間は短かったのです。私たちの元に訃報の知らせが入りました。元気だったので突然の訃報に『えっ』と驚いたことを今も覚えています。

今日、片桐さんにお会いできて、お母さんのことを話すことができて本当に良かったと思います。あの時、私は70歳でしたが、今は年齢がいったので介護の仕事をしていませんが、片桐さんのお母さんのことは『あんなに尊敬できる人はいない』と昨日のことのように憶えています。できたらお母さんの仏壇に向かって私のことを言ってください」と話してくれたのです。

会場の受付付近で、こんな感動する話を聴かせてもらいました。やっぱり母親は誰に対しても優しくて謙虚だったのですね。子どものことを威張ることも自慢することもなかったと聴いて嬉しくなりました。生かされている今日の日に感謝しています。