コラム
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2024/4/19
1914    人生は歴史であり物語である

「浜木綿 第70号掲載 令和5年9月1日発行」

歴史好きの小学生だった。小学校6年生の卒業文には「将来、探検家になって世界を駆け巡りたい」と書いた記憶がある。歴史と探検は「知らない世界を発見し、見てみたい」という共通点があり、これから築いていく未来を旅することを夢見ていた小学生だったように思うのである。

インディアナ・ジョーンズ博士になるという12歳の少年の夢は叶わなかったが、大人になってからの探検は続いており、心の中では「人生は悪くない」と微笑んでいる。

小学生のころ、歴史は司馬遼太郎の「国取り物語」により戦国時代に夢中になり、同じく「竜馬がゆく」で龍馬ファンになった。ヒーローに憧れるのはいつの時代も同じだと思うが、今では、子ども達に故郷の偉人をヒーローとして語れる立場になっている。

故郷の偉人、陸奥宗光元外務大臣の功績を知り、その物語を伝えるために、海援隊時代からの師であった坂本龍馬を知る必要がある。

ところで、幕末から明治に生きた偉人の物語を融合させて、新しい物語を語れる日が訪れようとしている喜びに満ちた日々を過ごしている。

令和6年7月、「龍馬と宗光 未来への伝言」が和歌山県で開催されることが決定したのである。和歌山県を舞台に二人の偉人を語れる日が訪れる。夢のような未来がこの先に待っているのである。

この「第36回龍馬World in 和歌山」開催の意義は、不平等条約改正130年は坂本龍馬や陸奥宗光伯を始めとする維新の志士達の祈願達成130年を祈念することにある。列強からこの国を護るため「新政府綱領八策」を書き上げ、国家の近代化を目指した龍馬。その志を受け継ぎ、新政府でイギリスとの間で「日英通商航海条約」を締結し、わが国念願だった不平等条約改正を成し遂げ、国家の近代化の扉を開いた宗光。

わが国の近代化を図り列強と対等な国として国民が誇りを持てる。そんな国を目指した龍馬の志のバトンを受け取った宗光が夢を実現させた未来は、間違いなく現代日本である。

二人が刻んだ歴史は、その功績を語る歴史家、小説家、そして土佐と紀州の人達によって語り継がれてきた。事実と自らの理想を以て語る人達の熱い思いによって、わが国の誇れる歴史となり、その後を生きる人たちの思いや道徳心など新しい息吹が吹き込まれた物語として、今もなお、書き加えられて物語の集大成に向かっている途中である。

令和6年7月、和歌山県がこの二人の偉人の物語を語る主役となり、わが故郷で偉人の物語を聞くことができる。そして語れる素晴らしい体験ができることにワクワクしている。歴史は常に、まだ見ぬ未来へと続く道を切り拓いていく志と気概がある人に舞台を用意してくれる。

そのとき、自分が立っている舞台の大きさは分からないが、その後の歴史がその舞台がどれだけ偉大であったかを語ってくれる。きっと龍馬も宗光も「歴史に残る偉業を、俺は今成し遂げようとしている。今、その大きな舞台に立っている」と思って行動したことは絶対にない。自分がやるべきことを、本気でやってただけなのである。

そして今を生きる私達も、偉人と同じように今日を懸命に生きているのである。そう偉人も多くの人達も、同じように与えられた毎日を生きていたに過ぎないのである。

かつて司馬遼太郎氏は高知市で講演をしたとき「龍馬は特別な人ではなく、私達と同じように普通の人だった」と語ったと聞いたことがある。

土佐の英雄をその地元で「普通の人だった」と語る司馬遼太郎氏が意図したことは「普通の人がやれたのだから、私達もやればできる」ということである。特別な人だからできたと思ってしまうと「偉大な先輩の後の世代の私達は、大事を成し遂げることは到底できない」となってしまう。

「竜馬がゆく」の作家は読者にそんなことを伝えたいはずはないと思うのが素直である。

世界を巡る探検家にはなれなかったが、これまで数えきれない多くの教えと氣づきを得て、そして周囲の素晴らしい人達に支えられながら人生の冒険を続けられていることに感謝している。この天から与えられた人生もまた歴史であり物語だと思っている。