650.主役
 映画の中で登場する主役。多くの場合、その脇を固める一人に、主役にアドバイスを与え続ける人生の先輩がいます。そんな人生の先輩は映画の中に登場するだけではなく、私達の人生の場面でも登場してくれています。

 小学校の先生、中学校や高校の先生、会社に入った時の同じ部署の先輩などが、人生の先輩として私達を導いてくれています。自分の人生の主人役である私に対して、私よりも先に生まれ経験を積んできた先輩が、人生の大切な局面において指導役として登場してくれるのです。
 ここで気を付けておきたいことがあります。私達の指導役として登場してくれる人生の先輩も、かつては自分の人生の主役だったのです。勿論、誰もが生涯に亘って主役なのですが、私の人生においての先輩は指導役として登場してくれますから、ここでは主役とは違った配役として取り上げます。

 ここで学ぶべきことは、私達はいつまでも社会や会社における主役ではいられないということです。それらの場面の主役から、やがて次の世代が台頭してきた時には、次は配役を変えて人生の指導役として登場すべきなのです。映画では、社会経験を重ねた指導役が突然登場しますが、私達が人生から何も学ばないでいると人生の指導者として登場することは出来ないのです。先の世代から教えを請い、学び、そして自分で様々な体験を繰り返して、初めて、次の世代の指導役として登場する機会が得られるのです。

 若い頃は誰でも主役を張れます。ところが主役を支える配役を監督からもらおうとすれば、経験を積んでいる必要があります。主役を包み込める優しさ、セリフの深み、主役の背中を押せるだけの言葉を言えること、など実は主役を張るよりも難しい人物像を求められます。

 私達はやがて人生の指導者にならなければならないのです。何故なら、自分が積み重ねてきた経験と知識を次の世代に伝えるのが、人としての大きな役割らだからです。自分だけで終わってしまっても良いキャリアにはそれほどの価値はありません。次に残すべきものを、心と頭に蓄積することが人生を生きていることなのです。

 簡単に思っていましたが、学校の先生方や社の先輩達は、自分の人生の主役を張り、その経験を私達に伝えてくれていたのです。生徒に勉強としつけを教えることや、後輩に物事を伝えることは、実は簡単なことではなかったのです。私達が先生や先輩の若い頃、つまり主役の時代を知らないから、突然指導者として現れてくれたように思っているだけなのです。人生の指導者になるまでには長い時間と経験を重ねていたのです。そしてまだその前にいた人生の指導者と呼ばれた先輩からのアドバイス、人生の気づきを受取ってきたのです。

 長く主役を張るためには人生の指導者のアドバイスを吸収し、やがて対等のセリフを放てるまでに成長する必要があります。成長した主役だけが指導者へと立場を変えることができるのです。主役から指導者に見事に変化できる人生は素晴らしいと思います。

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