641.Y先生の秘密
 私が宮前小学校1年と2年生の時の担任だったのがY先生です。初めての小学校の担任の先生で、しかも二年連続して担任をしてくれたY先生は今も忘れない恩人です。でも確か、私が小学校を卒業する前に退職してしまったことを覚えています。
 理由が分かりませんでしたが、今になってその理由を初めて知りました。

 それはY先生が自動車免許を取得して家族とともにドライブに出掛けた時のことです。自動車が河川敷に差し掛かったところ、左側の窓が開いていたので先生は運転しながら窓を閉めようと左手を助手席に伸ばしたのです。今のように自動で閉まる窓であれば問題はなかったと思いますが、当時はノブを回して閉めるタイプだったため左手を伸ばすようなスタイルになったと想像できます。
 運転に慣れていなかったためバランスを崩し、自動車は河川敷に転落したのだそうです。

 助手席に乗っていたご主人さんが大怪我をし、その結果、身体が不自由になってしまいました。先生はご主人さんの介護のために学校の先生を辞められたのです。
 それ以来、先生は自動車に乗ることを止め、移動する手段は自転車に変わったのです。Y先生と会う時は何時も自転車だったことを思い出しました。自転車に乗っている理由には、そんな深い理由があったのです。自分が運転して事故を起こしたため、ご主人さんを生涯不自由な身体にしてしまった自戒の念があったのかも知れません。

 教育熱心な先生だったのに、教育者としての志半ばで辞めなければならなかった苦しさが今頃分かったような気がします。その先生の現役時代に二年連続して教えてもらった奇跡のようなタイミングに感謝しなければなりません。先生は学校の中だけではなく、自宅にも度々迎えてくれました。勉強以外の話も聞かせてくれましたし、虫の飼育を通じて生命の大切さを教えてくれました。当時、先生は鈴虫を飼って孵化させていたのです。子どもだった私は鈴虫を飼育しましたが、翌年に卵を孵化させることはできませんでした。ですから翌年も孵化した鈴虫をもらいにいったのです。

 先生が小学校を退職した後も、継続して先生の自宅にお邪魔して鈴虫をもらって大切に飼育していた頃を思い出しました。小学校時代の時間は瞬く間に過ぎ去ります。小学校を卒業して中学校になってからは、先生の自宅を伺うことはなくなりました。やがて私の家から「リーンリーン」の鳴き声は消え去りました。 
 秋になると毎年聴こえていた鈴虫の鳴き声が消えたのです。それは少年から大人になる過程で自然の内に失われた音だったのです。もしかしたらY先生は、教え子だった少年がいつかまた、鈴虫をもらいに来てくれると思って待ってくれていたのではないでしょうか。
 何となく、今でも鈴虫を飼っているような気がしています。

 当時の少年も今ではY先生の現役時代の年齢を超えてしまいました。信じられないのですが少年は大人になって、そこからも長い時間が経過しています。
 突然、小学校から去ったY先生。その去らなければならなかった理由が分かりました。Y先生が介護を続けていたご主人さんは5年前にこの世を去りました。最後まで献身的だったようです。生涯消えていないと思えるような運転の傷痕。もう開放されていて欲しいと思います。小学生だった私には、当時、そのことを知っても先生の気持ちは分からなかったと思います。しかし大人になった今では、先生の後悔の念とそれを埋めるために費やした長い時間の重みが分かります。

 生徒に正しいことを教える立場の人間が人を傷つけてはいけないと、自らの信念を持って小学校を去ったのだと思います。私達が人を傷つけるような悪いことをした時には、真剣に叱られたものです。そして正しいことを是とした先生の教えは、潜在的に私の心に植えつけられているのだと思います。
 生涯持ち続けることになる人格を形成してくれたY先生に贈る感謝の言葉は見つかりません。Y先生が磨いてくれた人格は宝物になっています。もう一度、少年時代のように鈴虫を飼ってみたいなぁと思うようになりました。

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