607.人間工学
 人間工学からすると、人は基本的には社会的動物ですから、社会に迷惑をかけるようでは一人前の社会人とは看做されないそうです。自分の意見を熱く語る人がいますが、それだけでは通用しません。お互いの価値観を確かめ合い社会のためになる議論は、冷静にそして客観的にすべきものです。必要上に熱くなり主観的な観点から外れられない人は、社会では受けいれられません。

 主観で見ると相手の言うことに腹が立つことがありますが、客観的に対応すると大所から見ているような感じとなり、第三者的な立場から物事を判断することができます。客観的とは傍観者的とは全く違うことですから、主観を主張する余り相手の立場を考えなくなるよりも、お互いの立場に立って議論を行い、社会的役割を担えるような結論を導きたいところです。

 ところで物事には、原因と結果があるといわれています。全くその通りですが、それを解析すると次のようになります。素因、遠因があって原因になります。そして結果があり結果に応じた施策があるのです。原因と結果だけを分析しても真の要因、つまり素因が見つかりませんから注意が必要です。そして素因を囲むように遠因がありますから、原因を紐解いて、真の要因と外的要因を見分けることが必要です。自分と自分の行動範囲の中に素因があり、原因が導かれています。表に現われていない素因に応じた対応策を求めると、真の問題解決になるのです。
 結果から遡って素因を求めること、素因を見つけることが、次の対策に結びつくようです。

 同じように本質的な議論があります。鶏が先か卵が先かの議論です。考えると混乱しますが、答えは簡単です。鶏が先に決まっているのです。何故なら、先に鶏がいないと卵はこの世に出てこないからです。もっと突き詰めると、親がいないと子どもはこの世に誕生しません。祖先があって親がある、そして子どもがあり子孫があるのです。
 ですから絶対的に鶏が先であることを知っておくべきです。卵が先にあっても不思議ではないと思う人がいるから、親を殺害したり祖先の供養をしなくなるのです。子どもがここにいるのは、親や祖父母は関係ないと思っているからの行動です。
 その誤った考えが社会の乱れにつながっています。鶏が素因で卵は結果なのです。生命論を間違えないようにしたいものです。

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