523.固有名詞
 森久美子さん主宰のドラマティコ・フラメンコ「炎の道成寺」を鑑賞しました。フラメンコを鑑賞するのは初めてのことでしたが、本当に素晴らしい舞台でした。森久美子さんを初めモデルノフラメンコ舞踊団の皆さんの舞台は全ての人を魅了したと思います。

 和歌山県内でミュージカルや絵画鑑賞の機会は決して多くないため他府県に行くことがあります。その度に和歌山県に文化を楽しめる環境が欲しいと思いますが、今日は違います。和歌山県発の日本とスペインの文化を融合させた新しいフラメンコの舞台を鑑賞することが出来たからです。今日のフラメンコの素晴らしさは、会場で観た人だけが分かるものです。安珍清姫の物語もフラメンコのことも周知のことですから述べることはしませんが、日本の古典的な物語をスペイン文化と融合させる技や演出は正に芸術です。

 森久美子さんの言葉で印象に残っているものがあります。「私のフラメンコ」という言葉です。「フラメンコ」とは違う「私のフラメンコ」という固有名詞。ここに森さんの誇りがあります。今日の舞台は「私のフラメンコ」そのものでした。和歌山県から東京に、そしてスペインに発信すべき「私のフラメンコ」でした。

 私がフラメンコを観たのは「炎の道成寺」の舞台が最初でした。スペインのフラメンコを観たことがない私にとってのフラメンコのスタンダードは森さんの「私のフラメンコ」になりました。例え、これからどれだけフラメンコを観たとしても、スペインでフラメンコを鑑賞する機会が訪れたとしても、「炎の道成寺」で表現された「私のフラメンコ」が私の価値観のスタンダードになっているのです。つまりフラメンコの価値を図るものさしは、今日の「炎の道成寺」が基準となったのです。

 人の内心の価値のスタンダードを創るとは凄いことです。今日の舞台は、少なくともフラメンコを初めとする文化に関する私の内心の価値を創ってくれました。繰り返しますが、これは凄いことなのです。
 スペインではない和風にアレンジした私のフラメンコ。世界で最先端を行くフラメンコ芸術です。ルーツが狩猟の芸術表現は情熱であり激しさだとすると、ルーツが農耕民族の芸術表現は内に秘めたる情熱です。情熱表現では激しさで観衆を挑発し盛り上げるのに対して、秘めたる情熱表現では観衆の心を引き込みます。どちらも素敵なことですが、訴え方が違うのです。フラメンコを従来のやり方ではなく日本人としての表現方法を試みた「私のフラメンコ」は、日本人らしい新しい芸術を創造しているのです。

 舞台終了後、森久美子さんから信じられない言葉を聞きました。「実は平成20年1月から足の調子が悪くて練習ではステップが踏めなかったのです。ステップが踏めるようになったのはリハーサルの時と本番の時だったのです(炎の道成寺の舞台は平成20年2月でした)」。これは精神力の為せる技です。「炎の道成寺」の舞台に賭けた森さんの本気力が伝わりました。
 固有名詞を作ることは相当な自信とオリジナリティが必要です。例えば「私の政治」や「私の英語」と呼べるようになるには、創造性と創造するための長い時間が必要です。
 生涯に一つ、固有名詞を創りたいと思うばかりです。世界に通用する固有名詞がある、素敵なことです。

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