513.幸せの時間
 突然の訃報が飛び込んで来ました。和歌山市内の病院で入院治療中のYさんの長女が闘病生活の末、本日お亡くなりになりました。享年19歳の若さで、来年に成人式を迎えるはずでした。。生を得て成人する前にこの世を去る無念さ、その心の中は図りようがありません。

 不治の病との闘い。両親の必死の支えと看病。最後まで見守ってくれた医師。生命のドラマが幕を閉じました。Yさんに掛ける言葉は見つかりませんでした。
 長い入院生活でしたが、最後は退院して両親と一緒に、温かい家庭で最後の時を過ごしました。主事医とYさんとの話し合い結果。残り少ない時間を病院で治療を継続するのか、治療を止めて両親の元に帰って家庭を味わうのか、医師から二者から一つの選択を委ねられました。助かる可能性が少しでもあれば治療を続け治癒することに賭けたいのですが、医師からは、延命出来る程度で助からないと宣告されています。それなら家庭に戻り一緒の時間を過ごす選択があります。しかし確実に10代で終わる限られた生命となります。

 両親は悩み考えた結果、長女と最後の時間を過ごすことを選択しました。長女は病院から家庭に戻り、両親と楽しい時間を過ごしました。会社勤めの父親は長期休暇を取って、年末と年始を家族と一緒に過ごしました。長女とは近所の散歩や語らいなど幸せな時間を過ごしました。ささやかなことが幸せであり、幸せは近くにあることを感じられる毎日だったと思います。長女は闘病中ですから長い会話は出来ません。健康な時は話をすることは簡単なことですが、病気と戦っている身体にとって話をすることは気力と体力を使うことなので簡単なことではありません。

 しかも両親は長女にこの病気が治らないことを伝えていません。19歳の子どもに不治の病であることを告げることは出来ないのは親として当然のことです。年末くらい一緒に過ごそうと話していたことでしょう。子どもにとっても、長い入院生活とは違った両親との濃密な時間を楽しめたことだと思います。そして両親にとっては長女との最後の思い出作りだったのです。

 時に時間は残酷で、刻々と過ぎてゆきます。最愛の子どもが弱って行く姿をどのような思いで見守ったことでしょうか。そして最後の瞬間、突然の暗闇が訪れます。両親と一緒の明日の朝は訪れなかったのです。
 10歳代の女性が成人式を迎える前にこの世を去る。これから華やかな人生が待っていたのに、無念の一言です。Yさんとお嬢さん、そして医師の皆さん、関係した全ての人に「お疲れさま」と言葉を掛けたい思いですが、今日の言葉はありません。

 また、知人と子どもを病気で失うことに関して話をしたところ、その相手の方も子どもを病気で亡くしていたのです。「現在も生きていたら37歳になっているのになぁ」と話してくれましたが、親より先に旅立たれることの衝撃は計り知れないものがあるそうです。
 
 それにしても昨年秋の現役でこの世を去った山本博司さん。先日、32歳で旅立ったMくんの奥さん。そして今日の19歳のYさんのお嬢さん。立て続けてのご不孝事に悲しみに堪えません。
 全ての人が病から開放される取り組みを開始しなければなりません。日常を喜びに接していたい。そんな日常生活の思いがずっと継続するためのお手伝いをしたいと切に感じます。
 地域を活性化させること。健康な暮らしと病気の脅威から生命を守ること。これらが与えられた、そして解決すべき課題です。新年に当たり誓いと志を更に明確にすることが出来ました。

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