487.Tさんのこと
 平成19年12月に目の手術をして退院したばかりのTさん。自宅に戻って療養しています。夏頃にも活動報告で紹介したのですが、今夏、左目の裏側に癌の腫瘍が発見されたため放射線で治療しました。もう治っていたと思っていたところ、手術後の秋の定期健診で再発していることが発見されました。秋から現在まで、仕事を中断して治療に当たっていたのです。

 良くないことに左目の裏の癌腫瘍は広がりを見せ、右目の視神経の1mm手前まで迫っていたのです。和歌山市内の病院では、これ以上の治療は困難だと判断されたため、兵庫県や東京都の病院に相談に行きました。
 まず兵庫県の癌専門の病院では、「癌細胞を抹消するためには左右両方に放射線を照射するため両方目が見えなくなる。それ以外は治療の方法はない。」と言われました。真っ暗になる程の衝撃を受け、まだまだ仕事を続けたいので光を失うことはしたくないと判断し、次への期待を持って東京に向かいました。Tさんは昭和36年生まれ46歳、実に働き盛りです。

 東京の癌病院での診断は衝撃的でした。「目の裏の難しいところに癌細胞があるため、手術は出来ません。残念ながら治療方法はありません。」との診断でした。治療をしないと癌細胞は右目の視神経に到達し、右目も失明の危機に陥ります。手術も出来ない危機的な状態に絶望したのです。治療を継続していることから発病後、お酒は控えていたのですが、都内のホテルに宿泊し、都内の居酒屋で奥さんと一緒に悲しみのお酒を飲んだのです。「やけ酒はしないので今日は飲みたい気分」とTさんが奥さんに話して、二人で涙しながらお酒を飲んだのです。失明か生命かの選択は出来っこありません。
 これ程涙を流しながらお酒を飲んだことはないそうです。
 東京の癌病院で診断を受けた翌日、微かな希望を持って同病院が紹介してくれた都内の病院に向かいました。診てくれたのは癌では日本有数の先生です。緊急のことなので、癌病院から連絡を入れてくれたため直ぐに診てくれることになったのです。この先生の診断では「手術は出来ないこともないけれど、結果がついて来るかどうかは保障出来ない状態です。左目の裏の癌腫瘍ですから、手術するためには頭皮をめくり、左目を取り除いてから癌細胞を除去する方法があるだけです。手術後には相当の痛みと辛さがあり、しかも成功するかどうか分かりませんからお勧めは出来ません。」との診断でした。

 またしても絶望的な結果が示されましたが、先生から「手術はお勧めできませんが、横浜にレーザーによる癌治療の日本一の先生がいます。紹介するので、帰る時間を延ばして今すぐに行って下さい。」と調整してくれたのです。
 Tさんは直ぐに横浜の病院に向かいました。2時間の検診の結果、「難しい場所に癌細胞がある珍しい事例ですが治療は可能です。取り除くことは出来ます」と判断してくれました。絶望からの帰還です。和歌山県に戻り、手術のため、日を改めて横浜に向かいました。

 大手術を予想していたのですが手術はわずか三日間。そして大成功でした。先生からは「手術は成功です。私の経験から取り除けたと確信しています。」との言葉。和歌山市内での夏場の治療には数ヶ月の放射線治療を要したのですが、短期間で、しかも成功させてくれました。
 それでも左目に二度、放射線を当てているので将来の視力は保証出来ないと言われていますが、右目は助かったのです。その差はわずか1mmです。1mmの奇跡なのです。躊躇したか、もう少し治療が遅れていたら右目も危なかったところです。
 左目を落とす覚悟で決断した結果、生命も失明も回避することが出来ました。ただ体力は落ちていますから、直ぐ仕事に復帰するのは難しいところですが、人生の先は長いのです。ゆっくりと治療、療養すれば良いのです。

 無理を言って自宅に隣接している事務所を見せてもらいました。どうしても、夢を果たすために独立したTさんの事務所を見ておきたかったからです。小さいけれども若い頃からの思い出の写真と資格試験の受験勉強の教材、そして事務面関係する本が並べられていました。傍にはコピー機とパソコンとファックスが設置されていました。実は、自分の事務所にコピー機を置いた瞬間の嬉しさは忘れられないものなのです。コピー機のリース料金は高額ですし、リース期間は約5年もありますから、5年先の成功を目標に走り出す意欲が沸いてくるのです。

 素敵にまとまった事務所から独立したTさん。「まだまだ仕事をしたいので5年は生きたいなぁ」とつぶやきました。「何を言っているの。5年先にはこの事務所がビルに変わっているよ。」と返事をしました。私は本当にそう思っています。人生で最も深い絶望の体験を乗り越えた人間が、5年でこの世を去る筈はありません。絶望の体験はこれからのステップの前段としての縮みの体験だったのは間違いありません。神様はTさんを試してくれたのです。ですから絶対に大丈夫です。5年後は50歳ですが、必ず素晴らしい50歳を迎えます。

 手術が成功した後の今も、耐えられないような頭痛が走ると言います。辛い気持ちが伝わってきますが、絶対に負けたら駄目です。
 勤めをしながら資格取得の勉強を行い、合格して離職、見習い期間を経て独立、事務所の開設、これからと言う矢先の疾病発見。手術、仕事の再開、そして再発と再手術。次は事態が好転するだけです。

 こんな辛い状態だったのに、平成19年12月和歌山県議会定例での一般質問のテレビ中継を見てくれていたのです。「頑張っているなぁ。姿を見ると勇気付けられるよ。無理をしているようだけど身体には気をつけて下さいね。」心に染み入ります。
 誰かの支えになっていることに感激しますし、これからがあるTさんの生命を支えなければなりません。出来る限りの全てのことはするつもりです。5年後の成功している姿がここ見えています。一緒に、今度は人生で一番嬉しいお酒を飲みたいと思っています。そしてそれは必ず実現します。
 事務所の机に貼られていたTさんと私が写った若い日の写真。今も大切にしてくれていることに応えなければなりません。仕事に全力。人に優しく。そして大切な周囲の全ての人と一緒に最も高く昇って行きます。思いの中では既に実現していますが、希望が見える段階はそこまで来ています。

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