450.栄冠は君に輝く
 夏の暑さを感じさせない熱戦を繰り広げる甲子園大会。中々ライブで見る時間はありませんが、時々夜のニュースで見ることがあります。甲子園大会、そして甲子園を目指して闘う高校野球は、日本が誇るべき伝統だと思います。ニュースのアナウンスの中で「高校三年生にとっては最後の甲子園です」とありました。

 トーナメント方式の甲子園大会では、高校三年生にとって負けたら次はありませんから、最後の甲子園になることは余りにも当たり前のことですが、見ている者にとっては余り意識していないのです。ところが高校三年生にとっては今年の甲子園大会は最後の機会であり、このために三年間頑張ってきたのです。
 見る側にとっては、夏の甲子園は毎年巡ってくるもので特段の意識はありません。ところが選手にとっては生涯、この時期ただ一度のものですから人生において特別な夏になります。見る側と当事者では天と地ほど意識が違うのです。
 特別な視点ではなく一般的に私の年代で夏の甲子園を振り返ると次のようになります。

 石井投手、嶋田捕手のバッテリーで春夏連覇を達成した箕島高校。そしてライバルの牛島投手、香川捕手のバッテリーを擁した浪商高校。

 ライバル対決の池田高校の水野投手と中京高校の野中投手の対決。そして突然現れて池田高校を破り、その後の主役に上り詰めたPL学園高校の桑田投手と清原選手。
 五打席連続敬遠で甲子園を去った星稜高校の松井選手。
 決勝戦でノーヒットノーランを達成した横浜高校の松坂投手。
 記憶に新しいハンカチ王子こと早稲田実業の斉藤投手と、夏の大会三連覇を掛けて投げた駒大苫小牧高校の田中投手。
 彼らがいた甲子園は幻ではありませんが、再び同じ場所にやって来ることはありません。

 毎年確実に巡ってくる夏の甲子園。同じように見えても選手の姿は違います。全てを掛けて打ち込めるものがあることは幸せなことです。大人になると全てを掛ける機会は著しく減少します。

 高校時代が大人になった後に巡ってくるとすれば、三年間の過ごし方は全く違ったものになると思います。必ず全てに全力を尽くすことでしょう。それは他人の視線よりも、全力を尽くすことの方が大切であることに気付いていること、そして人生において全力を尽くす機会は、それ程多くないことを知っているからです。何よりも、人生に目標を持ち、それに向かうこと自体が難しいことも分かっているからです。

 三年間追い続けられる目標を持つことができ、全力を尽くす機会を与えてくれる高校時代が輝ける瞬間であることに間違いはありません。それと同じことが大人になると出来にくくなる、本当に不思議なことです。その理由は分かりませんが、考えられるのは、目標がなくても何となく生きていけること。目標達成までの期間が区切られていないこと。既に社会に順応している周囲に同調してしまうこと。そして人生は長いのだから、そのうちにと思ってしまうこと、などが挙げられます。

 いずれも達成すべき目標を先送りにしていることから派生しています。大人になっても三年間、または四年間で環境を変えることを余儀なくされたら、与えられた期間は充実したものになると思います。
 夏の甲子園を見て思うことは、その一瞬に全力を尽くすことの難しさと大切さです。今の一瞬に全力を尽くすことが、長い人生で出現する課題に全力で対応出来ることにつながります。一瞬に全力を尽くせない人が人生と言う持久走を走りぬけることは難しいのです。

 今日も夏の象徴である入道雲が空に輝いています。どこまでも青い空と白い入道雲は、私達の未来が白く青く輝けるように行く道を導いてくれているようです。

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