425.旅の終わり
 ある先輩の通夜式に参列させていただきました。現役、しかも若くしてこの世を去った先輩の通夜式です。関係者だけの通夜式でしたが、故人の人柄からか、多くの方の参列がありました。涙ぐむ人、嗚咽に咽ぶ人など、明らかに通常の通夜式とは違う空気がありました。私も心が痛くなるような感覚がありました。若干46歳、複数の会社の経営者であり、ボランティア活動など社会貢献活動にも積極的で、しかも和歌山県の将来を心配して政治活動にも参加していました。余り知られていませんでしたが、和歌山県内だけではなく全国的な活動も行うなどしていた方で、和歌山県にとって大きな人材の損失となりました。

 しかし人の運命とは分からないものです。あれ程元気に活動していた方が突然の病に倒れ、数ヶ月の闘病生活の後、帰らない人になったのです。信じられない思いがします。
 通夜式の間、故人の思い出が蘇ってきました。そして考えさせられることがありました。

 人は誰もが死に至ります。全力で生き抜いても、手を抜いて生きたとしても、年齢と共に死に向かっているのです。そう思うと生きることに意味がないような気がします。しかし、それでも人は全力で毎日を駆け抜けています。後が決まっているからこそ、全力を尽くすと言った方が良いかもしれません。
 限られた時間を現世で過ごせる幸せを感じながら生活を過ごすことが出来たら、どれだけ素晴らしいことでしょうか。私たちは生に限りがあることを忘れています。むしろ生命を意識しないで生きているのです。生命を意識しないで生きていることが、生きていることなのです。

 健康を害したり生命の危機を感じたり、身近な人の死に直面することがあれば、生命がどれだけ大切なものかを知ることになります。そこで初めて生命に限りがあることを学び、人生を全力で生きようとするのです。
 人は人生を振り返って一番後悔することは冒険をしなかったことだと聞いたことがあります。私たちは安定した人生を望みますから、日常生活には冒険を期待していません。でも冒険は素晴らしいことです。知らない世界を見ること、知らない土地を訪れること、今とは違う知らない人生を生きること、全てが冒険です。

 マンハッタンを歩くこと、ピラミッドに接すること、ナイル川を遡ること、グランドキャニオンを体験すること、ルーブル博物館を訪れること、全てが冒険です。
 仕事以外の分野に挑戦すること、複線型の人生に挑戦すること、未知の世界に挑戦すること、資格取得に向けて頑張ること、全てが冒険です。
 安定した人生も良いけれど、冒険も人生における素晴らしい体験になります。私たちはいつ生命が途切れるかも知れません。交通事故、病気、自分が死んだことすら分からないまま人生を終えるかも知れません。

 ですから人生は挑戦、冒険する気持ちを持たなければなりません。一度限りの人生ですから、恐れないで挑戦する姿勢を持ちたいものです。
 死に直視した時、人は人生を考えます。「Never Give Up」人生は決して諦めないことです。挑戦する気持ちを持って、困難な人生に立ち向かいたいものです。人生とは冒険ですから、冒険のない人生はつまらないのです。
「よく頑張ったなぁ」と最後に言える人生を過ごしたいものです。人生の旅の途中で、この世を去った先輩のご冥福を心からお祈りいたします。

コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ