375.励ましの声
 いつも本当に熱心に応援してくれている方が、ある依頼に対して事態が進展していることの報告を受けました。そして知り合いから是非紹介して欲しいと言われているので時間を空けて欲しいと依頼を受けました。本当に有難いことで感謝する次第です。励ましの意見をいただくことほど、活力につながるものはありません。色々な意見がありますが、最終的には「激励や応援の声>批判や中傷」となっていれば、前に向かう原動力が内部から発生します。
 励ましの力は心が元気になる源で精神衛生上、非常に大きいのです。

 ひとつ気付いたことがあります。肯定的な言葉や単語を活字にすると問題はないのですが、否定的な言葉を活字にすると自分でも嫌な思いがします。否定的な言葉を自分で活字にすると気分が悪くなるのです。書いてみたりまたはワードで打って、ブログに掲載し公にして見るとその気持ちが分かってくれると思います。
 会話の中においては、否定的な言葉や汚い言葉を発しても、自分では余り気付かないものですが(それでも相手は気づいていると思いますが)、活字にすると汚い言葉を記すと不愉快になるのは確実です。

 ですから会話においても出来るだけきれいな言葉を使うようにしないと、発する言葉によって自分が汚されてしまいます。汚い言葉や否定的な言葉を頻繁に使用する人は、人格を疑われるだけ損をします。優しい言葉、暖かい言葉、きれいな言葉、丁寧な言葉を使う人は、心が優しくてきれいな人に違いありません。
 言葉は人格を的確に表してくれます。

 もう誰もが知っていることですが、FIFAワールドカップ決勝戦のフランス対イタリア戦において、フランスのジダン選手がイタリア選手に対して頭突きを行いました。この行為の是非については様々な意見がありますが、考えるべきなのはジダン選手が語った「時に言葉は暴力よりも人を傷つけるものだ」という意味合いの言葉です。
 ジダン選手は誰もが認める世界のスーパースターです。本人は周囲の評価を意識している筈ですから、日常においては勿論のこと、サッカーの試合においてラフプレーやマナーに関しては最大の注意を払っている筈です。自分の行動が世間に与える影響の大きさを知っているからです。
 その注目の中心にいる選手がワールドカップの決勝で、何もないのに頭突きをする訳はありません。きっと暴力行為以上に耐えがたい汚い言葉を浴びせられた筈です。

 このように汚い言葉は人を傷つけますし、相手の評価も落としてしまう危険性があるのです。故意的に相手を陥れる目的を持って汚い言葉を発する卑劣な人がいるかも知れませんが、その挑発には乗らないことです。
 汚い言葉に対してはきれいな言葉で受け止める。卑劣な行為に対しては正々堂々とした態度で対応することです。瞬時には耐え難い事態であったとしても、長い視点で捉えると誰が清らかな人であったのか周囲が評価してくれると信じたいものです。

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