325.進化の過程で存在
 今の人類が今の姿でいられるのは奇跡のような出来事かも知れません。生物は海から陸へ、そして両生類から爬虫類、哺乳類から人類へと進化を遂げて来たとされています。
 この地球誕生から40億年の歴史の過程で、少しでも何かの状況が違っていたなら、今の人類はなかったかも知れないと思わされる映画がありました。サウンド・オブ・サンダー(A sound of thunder)です。
 映画の論評は別として、ストーリーは人類が6500万年前にタイムトラベルをした際に、過去から現在に持ち帰った1.3グラムの蝶がその後の生態系を変え進化の過程をも変えてしまうのです。4500万年前に生まれ死ぬ予定だった蝶がその次代に存在しなくなったことで、決して進化する筈のなかった生物を進化させてしまい、植物や昆虫、爬虫類などが違う進化を遂げてしまうのです。やがて人類の進化まで影響を及ぼす危機が迫り、それを寸前のところで阻止して結末を迎えるのです。映画ですから現実はそうではないと思いますが、考えさせられることがあります。

 進化の頂点が今の人類だと思っているのですが、進化の歴史の過程で少しでも違う進化が起きていたら、今の姿の人類は存在しなかったかも知れないのです。そうすると文明も違った形で進展していますし、何もかも2006年の今の姿は存在しないことになります。
 人類は地球上のことは何でも出来ると思っていますが、地球の進化の中で生かされている存在なのです。進化の過程で生かされているとすると、富や名誉、地位などは全く意味を持たないことを知ることになります。
 今の文明と今の時代だけで通用するのが貨幣です。国の形が変化すれば貨幣の意味はなくなるのは当然のことですし、富を蓄積していても、死を迎えるとそれ以降は使うことは適いません。だとすると追求すべきものは、進化の過程に自分が存在していることに意味があり、次の進化につなげる何かを残すことです。

 進化は数千年単位のものですから、人の短い一生で変化をもたらす程の影響を与えることは出来ないと思いそうになりますが、進化の過程で自分が存在しなくなると、直ぐ次の過程でさえ変化をもたらします。例えば、無理がたたって本来生きるべき人が突然存在しなくなると子孫を残すことは出来なくなります。不意の交通事故で生命を絶たれると、生きていたら何かの業績を残していたかも知れませんし、この場合も子孫を残すことが出来なくなります。

 地球の歴史からすると小さな変化ですが、実は生命の進化からすると大きな変化です。何しろ、次につなげる筈のものがなくなるのですから。生命があるならば、自分から子ども、そのまた子どもとへと自然につながっていく予定の連鎖が断ち切れてしまうのです。自分の生命を大切にして、生命を与えられている役割をしっかりと果たすことが進化の中に存在している意味です。
 生命を大切に、そして自分の存在は大きいことを認識し、進化するために与えられた役割を果たすために生きることです。私が今ここに存在していること、次の進化のために欠かせない事実です。

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