265.全国を巡る情報
 情報の伝達速度の速さには驚くばかりです。少し前までは地域で何か問題があったとしても、新聞報道がされないで地元テレビでも放送されないと知ることは出来ないものでした。地方に暮らす者にとっては、新聞の地方版や地方テレビ局のニュースで地域の情報を把握していたのです。事件までに至らない事象があっても新聞に掲載されることやテレビで放送されることは稀でした。
 権力者にとっては都合の良い環境だったとも言えます。それはある程度以下の事象であれば、ある程度は抑えることが可能だったからです。情報の受け手の立場にある私達は情報の送り手からの報道に頼らざるを得なかったのです。

 ところがインターネットは地域の事象レベルの問題であっても、全国、そして世界に発信してしまいます。和歌山市のトップの方がある問題発言を行ったのですが、インターネットのニュースに掲載されたところ全国から意見が相次ぎました。私のところにまで全国から、和歌山市のトップは一体どうなっているのかと意見が寄せられたのです。さらに良いか悪いかは別にして、インターネットのあるサイトには一日で800件も意見が掲示されていたのです。
 
 これは情報の受け手の立場であった私達が、情報の送り手にもなり得ることを表しています。一方的に情報を受け取るだけではなく、積極的に情報を全国に向けて発信出来る立場になれるのです。
 仮に権力者が問題発言をしたので地元のメディアを押さえられたとしても、情報の世界では無意味です。むしろ地元メディアで報道されていないことに対して不信感を抱く結果になります。地方にいても、公的な発言や公的な立場にある者は隠し事が出来ない時代に入っています。

 情報は一夜にして世界を駆け巡りますから防ぐのは不可能です。匿名性のある情報は信頼性に欠けますが、数ある意見の中には事実も含まれています。新聞に掲載された記事なら一日だけのもので、その情報を必要とするならスクラップなど自分で保存しておく必要があります。しかしインターネットに掲載された記事や意見は時間的猶予があり、いつでも引き出せることが可能です。
 そのため情報整理の必要はなく、一過性の不適切な発言でも永続的にインターネット上で掲載されることになりますから当事者にとっては厳しいものになります。誰でも情報の発信者になれることは誰もが自分の意見を発言出来るため、権力者の暴走を抑えてくれる役割も果たしてくれます。
 一部の者が情報を握るのではなく誰もが情報の発信者になれる。信頼性の観点からは全て信用するのは危険ですが、弱い立場の人でも権力者の行動に対して意見が出来るし権力者の資質を問うことが出来ます。情報発信は、使い方によっては権力よりも強いことを正しく認識すれば大きな力になります。
 身近なところであった地域内での発言が全国に発信され反響があったことから、情報の凄さとその扱いの難しさについて改めて考えさせられます。

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