233.選択の機会
 政治は誰が司っても同じだと思っていますが、実は人の資質によって同じものに仕上がりません。むしろ全く違う結果を導き出しますことを理解しておくべきです。市民の活動に関心がない人が市民の活動を促進するような取り組みをする筈はありません。NPO法人の活動に参加していない人はNPO法人が公共サービスを担うことに理解を示す筈はありません。
 地方自治体レベルでの例を挙げましたが、このように課題に対する関心度と活動レベルは比例します。課題をもっている人にとっては、他人の話を聞くことが大切なことが分かります。

 民間が出来ることは民間で行うことをスローガンに、公共分野が担っている仕事を官から民へ移行させようとしています。政府は私達の税金を一旦預かってくれた後に必要な行政サービスを実行するために教育や福祉、道路などの各分野に配分します。市場と決定的に異なる点があります。市場では実際に商品を見たり触ったりした上で、気に入った商品を吟味して購入します。商品を買うか買わないかは私達が意思決定出来るのです。市場で何を購入するのか分からないままに1万円を支払い、商店の経営者があなたには1万円相当のこの商品を渡しますと言われたらどうしますか。商品購入の決定権が需要側にあり供給元に選択権がないのが自由市場です。

 ところが政府事業場合は市場主義と異なります。私達需要側は何の行政サービスを受けられるのか分からないままにお金を支払います。お金と引き換えに直接的に行政サービスは受けられません。政府は集められた税金という姿のお金を私達に公共事業や行政サービスの形で供給を受けます。福祉サービスを受けたい、或いは子どもの教育にお金を使って欲しいと思っても自分では決定出来ません。予算案を作るのは官庁で政府が政策案を最終決定し国会で承認を受けたら税金の使い道の配分が決定します。
 基本的に自分達の意思を市場に委ねた方が、場合にもよりますがより好みに近い結果が得られます。そして行政サービス部門を適切に民間へ移行することで、仕事の効率化が図られ原資の低減が可能となりますから歓迎すべきことです。

 さて自分意思で税金の使い道を決定出来ない私達は、国会議員に思いを託すことになります。自分の考えに近い人に国会議員になってもらうための行動を通じて私達の意思を政策に反映してもらいます。教育分野を充実して欲しいと思っている人が、少子化だから教育は必要ないから教育予算は縮小しますと公約を掲げている人を選択することはないのです。
 ところが教育と福祉の充実を図って欲しいと思っている有権者がいたとします。一人のある国会議員候補Aは、教育は充実させるが福祉は不必要と訴えています。別の一人Bは、教育は必要ないけれど福祉は充実させるべきだと訴えていたとします。どちらを選択すれば良いのでしょうか。
 選択肢は三つです。Aの候補者を選択する。Bの候補者を選択する。どちらも選択出来ないので棄権する。正解はありませんが、可能であれば積極的理由によってAまたはBのいずれかを選択したいものです。少なくても教育家福祉のどちらか一つを実現する可能性が自分の選択により残されます。
 AもBも、自分の考えた方と異なりどちらも気に入らないから選択の機会を棄権するのは消極的です。何故なら自分が棄権してもAかBのどちらかの候補が選ばれることになりますから、他人の選択肢により結果が導かれることになります。

 このことを簡単に説明するために投票率50%のケースとして、全4人のうち2人だけが投票行為を行った場合を考えます。この場合の投票率は50%ですから、最近の投票率と良く似た数値です。自分ともう一人が棄権したことにより投票行為をした人の一票の価値は二倍になります。棄権しても自分の意思は反映させられないばかりか、意思表示しようとする他人の意思決定行為の価値を二倍に引き上げることになります。この場合、自分の意思決定が関与出来る余地は無く思いが実現するとこはありません。ただ選択された候補者が政策実現のため活動しますから、自分の思い通りの結果が得られることがあるかも知れません。でもそれは偶然性によるもので積極的に意思関与したものではないため不満の残るものになります。

 選択する機会を棄権することは他人の意思決定に任せることに他ならず、投票率50%は自分の価値をゼロにして他人の価値を2倍にすることを意味していますから、思っている以上に大きなものです。
 中立と言う名の関与否定は意思決定を放棄したものと同じですから、何も変化を起こすことは叶いません。変化を期待しているのであれば激流に飛び込む勇気が必要です。

コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ