200.記すこと
 コラム掲載を開始してから2年間で200回目を迎えました。単純化モデルで考えると730日でコラム200本ですから3.5日に1本、つまり1週間で2本のコラムを書いていることになります。
 日常生活の中で思ったことや大切だと感じたこと、そして社会の中で或いは他人から学んだことを文章で表現しているのです。社会に出ると学ぶ機会は限られてきますから、自分で学ぶ機会を作ることと社会生活から学ぶことが必要となります。学生時代なら黒板に書いてくれた重点を書き写しておけば後で見返すことが可能ですが、社会生活では大切なことでも書いて知らせてくれません。
 ですから学んだことを定着させるためには、自分で書き記すことが最も大切です。感動したことでも学んだことでも優れた人と接した経験でも、書いて残さないと現実からも自分の心の中からも消え去ってしまいます。

 時間が経過した後でその時の感動を表現しようとしても、文章のプロでない限り無理だと断言出来ます。心の琴線に触れた他人がくれた名文句でも、数日経過すると思い出すことは難しくなくなります。講演会や研修会で学んだことでも、ノートを取っておかないと成果として知識として定着しないので自分のものになりません。
 何よりも自分のつたない経験であっても周囲の人達に伝えることが大事だと考えていますから、そのためには文書で残す以外に手段はありません。録音したものや動画として記録した媒体もありますが、書くことと読むことが理解するためには全ての基本となります。

 ところで200本のコラムを書いたところで次の目標は1,000本と定めました。一気に目標を高くしましたが、それでも1年に100本に過ぎません。つまり残りの800本を達成するためには、今のペースで書き続けると仮定したら後8年を要することになります。8年後には私は50歳を超えていますから、今まで生きた時間よりも残された時間の方が少なくなっています。
 50年生きてたった1,000本の考え方を記せただけとなります。1,000本のコラムの分量は、A4サイズで約1,000枚、文字数にして約150万字となります。生きて人生を考えた結果にしては、如何にも少ないと思わずにはいられません。
 
 自分の人生を振り返った時に、それまでに積み重ねたものは驚くほどに少ないのです。自分では沢山の経験と思い出があるように思っているのですが、それらを表現しても大した分量にはなりません。自分の考えを論文で発表したり、本を出版して自分の考えを世間の批評に晒している人の経験や知識は時間を超えて伝わっていきます。ところが表現する行為を怠って胸の内に秘めているだけに終始すれば、自身の存在の消滅と共に全ては消え去り後に残されるものはありません。
 名前や肖像を後世に残す必要性は全く感じませんが、考え方を記し残すことは人類の先輩としての務めです。そして個人が記録として残せる分量は思っている以上に少ないのですから、成長する過程を自分の考えと一緒に記録しておきたいと思います。
 そのことが、自分が生きた時代を一歩でも前進させ後の時代につなぐことになります。

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