61.歴史を動かすもの
 現在の私達の生活レベル、或いは文化レベルは人類史上最も高い水準にあります。本来なら私達は芸術や音楽に満ちあふれる文化の香りのする暮らしや、家庭的な暮らしを実現している筈です。
しかし身の回りを見渡してみても、その様な風景には出くわさないのが現状です。依然として大量生産・大量消費型の経済発展を志向しているし、私達は資財の蓄えに必死になって働いています。その中には文化の香りは全くありません。まさに、人間が感情的な快楽の追求の段階に留まり、その先にある理性的精神的な喜びの追求の段階には至っていないようです。言い換えるなら、物質文明のウェイトは高まり精神文化のウェイトは低下しています。
 顕著な例を挙げてみると、人が集まった時の話題といえば、ゴルフにパチンコに飲み会の事ばかりでそれで十分満足しています。逆に絵画や感銘を受けた書物などの話題は提示しても関心のない人が大半であり議論になりません。ひまつぶし的で大きな喜びが伴わない娯楽に時間を費やし、社会が供給してくれる安直で多種多様な快を求め満足しているのです。
 こうした安易で受動的な欲求充足の態度は、生活態度の問題留まらず人間の精神性の衰退に直結していく重大な問題です。
確かに、歴史を見れば低次の本性ですら満足させられなかった時代の方が長かったのですから現代の方が進歩していると言えます。しかし精神的な知識への関心を持たない文明は、人類の歴史からも長続きしない事は明白な事実ですし、折角、物質的文明を築き、その次に進める状況が我々に与えられているのですから、自己を精神的に高める行動を起こさないと人間としての価値は感じられません。
 精神的価値を追求することについて全ての人が肯定すべきですが、ただ、日本にとって不幸なことは、オウム真理教を初めとする偽物の活動が社会に大きな影響を与えたため、精神論全てが否定されている点にある。これを解決しないことには、まともな活動も同様に見られる懸念があり、今直ぐ物質第一主義から抜け出すことは不可能です。
 ただし、次の時代を担う子ども達からは新しい時代の息吹も感じとれます。超能力というと嘘っぽいのですが、それが本来人間に備わっている能力と捉えれば不思議でも何でもないのです。縄文時代の人間には先を予知できる能力が備わっていたと言われます。それは生きるか死ぬかという状況の中で、人間が自然に身につけた能力なのです。時代が進むにつれ、人間には自然環境や野生生物からの危機が少なくなり、次第にその能力が失われていったのです。今ではそれが第六感とか超能力と言われていますが、元は全ての人間に備わっていた普通の能力です。来るべき時代はその能力が必要になると宇宙の意志が考え、子ども達に復活させたのでしょう。
 私達は、その能力を自分にないからと言って否定せずに、子ども達が真の人間に成長し、21世紀、その能力を活用できるように手助けを行いたいものです。

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