49.自己責任論
 全ての行動に自己責任がつきまとうのは口を挟む余地はありません。そして言論の自由の権利も自己責任があるところに保障されています。
 イラク邦人誘拐事件や北朝鮮埒被害者家族発言における当事者への批判についてはふたつの恐ろしさがあります。誘拐された邦人の自己責任否定論については論外ですが、ここで彼らの活動背景は全て捨象して考えてみます。

 日本は自分の考えを自由に発言することが認められている国です。憲法第21条第1項は表現の自由を表わすものです。内心では何を思っても考えても自由であることは当然であり大切なことですが、外部に発信されることで社会的効用が発生します。そのため表現の自由は私達にとって極めて大切な権利です。表現の自由の基礎は、話をする自由、書く自由です。近年では知る権利が重要な意義となっていますが、今回は古典的な権利としての表現の自由から考えます。

 自分の生き方を選び好きなことを表現することは、人として当然の欲求です。自分の人格を表わすための表現は、現代の日本では保障されています。
 つまり、誘拐された人質や埒被害家族の方が、どのような発言をしても全く自由でありそれを制限する権利は私達にはありません。この発言は駄目だとか制限をかけることは、私達が持っている最も大切な権利のひとつである表現の自由の権利を、国民自ら否定することになります。この権利がなくなると自由な発言が出来なくなり、自分の考え方を社会に発信することが出来なくなるのです。自分の意見を主張したところ、誰か分からない人から批判の嵐を浴びる社会は楽しいと思いますか。

 好きなことを誰かに話をする、文章や歌で自己表現することが、自分の存在を示し確認する大きな手段です。他人の発言に対して、自らの姓名を名乗って発言することは許されていますが、匿名のメールやファックスで批判することは許されないと考えるべきです。
 何故なら、国民全てに表現の自由が保障されていることは勿論、この権利を行使するためには発言者の自己責任が要求されます。責任をとらない発言は無責任と同義語ですから。
 匿名メールで批判をする人は、自己責任否定論に対してのものが多かったようですが、匿名で批判する行為は自己責任否定論者であることを示すものです。だから匿名で批判や意見をする人は、当事者達と同じ行為をしていることとなり批判する権利はありません。彼らの態度や発言がおかしい、いや不誠実だと思ったら、姓名を言ってから堂々と批判すべきです。これが民主主義のルールです。

 もうひとつの論点。少数意見を駄目だとする社会は、民主主義が成熟していない国の程度を示すものです。少数派の考えの人達が発言できないで権力に従う社会を社会主義といいます。
 民主主義は多数決で物事を決めるのではありません。少数意見を留保した上で多数決に従うのが民主主義です。民主主義のルールに則って、という場合は、大多数に従うのではなくて、少数者、特に社会的弱者の意見を聞くことが求められるのです。

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