7.決断する
 事の大小の違いはありますが、人は毎日決断の連続の中で生きています。全ての行為は、自分の意思に基づく決断の結果だと言えます。例え、人に頼まれての行為だとしても、そうしようと判断したのは自分です。絶対に嫌なことは、人から頼まれてもしないものです。そうであるなら、自分で考え、意見を述べ、行動した結果に至るまでの責任は全て自分にあると言うことです。自己完結の姿勢をとるのが自然な姿だと思います。

 さて、どんなポストでもトップは大変です。最終決断を自分でしなければならないのですから。決断を下すまでに、多くの人や信頼が出来る人の意見を聞くことが大切ですが、その上に立って最終判断は自分の意思で下す必要があります。
 自分が賛成し、大多数の人も賛成しているなら、流行にさえ惑わされなければ、割合判断は下しやすいと思います。自分が賛成で、周囲が反対の場合の判断は難しいと思います。自分の正しいと思う道を取るのか、大多数を取るのか、トップの価値観と資質がわれます。

 その分野の経験と知識があり、正しい方向性を見通せるのであれば、自分の価値観を信じれば良いと思います。しかし、経験がないうえ、知識も乏しい場合はどうでしょうか。社会的背景など取り巻く状況によりますが、経験者のアドバイスを受けること、歴史的背景を探り本質に戻ること、何となくおかしいなと感じたら、自分の直感を信じることなどが判断材料になります。
 即ち、原理原則にその事象を当てはめて、自分の価値観を加味した上で判断する、と言うことです。それ故、自分を高めておくため、様々な経験をすること、日々の小さな決断を下せることが、大きな問題に直面したときに力を発揮することになります。

 ですから、何かの役の依頼が来れば、役不足と思わないで引き受けることです。自分でその役をやりたいと思っても、周囲の評価がないとポストは巡って来ません。自分で自分を評価するのではないのです。
 周囲の評価により、その役を引き受けて欲しいと依頼があれば、自分が引き受けても適任だと思うことです。人から頼まれた役を引き受けて実行する経験は替え難いものになります。
 社会的に反していなければ、大抵の経験は人生の糧となります。

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