「幸せが見える」。こんな言葉を聞きました。幸せをどうやって見るかと言うと、指でメガネのように輪を作り、そこから景色を見るのです。そうすると指で作ったメガネから見える景色が「幸せに見える」と話してくれました。
でも指で作ったメガネが魔法のメガネではなくて、「幸せに見える」ために必要なものを持っているから見えていると思います。
「幸せに見える」ために必要なものとは、今日という日を幸せに感じていること。この瞬間を幸せに感じることです。心で幸せを感じているなら、見慣れている日常の景色が「幸せに見える」のです。
こんな会話がありました。
「最近、感じていることがあります。こうすると幸せが見えるのです」と言って指を丸めてメガネを作り、そこからここにある景色を覗きました。
「指で作ったメガネで景色を見るのですか」と尋ねました。
「そう、指の間から見える景色が幸せに見えるのです。こんな気持ちになれることは嬉しいことです。誰にでも見える景色ではないと思うから」。
幸せはここに存在していることに気付いたと思います。そして幸せは自分の心が決めるものなのです。
「日常の光景が幸せに見えることが幸せだと思います。幸せが見えているのは心が幸せを感じているからです」と答えました。
「そう思います。不思議なことに幸せが見えると精神が大人になった気分になります。これまであまり変わらなかったように思っているのですが、幸せを感じることのできる大人になったように思います」。
無邪気な子どもは幸せを感じているのでしょうか。毎日起きる出来事が新鮮なので、それが幸せと思わないでいるように思います。次々に訪れる初めての体験や興味を引くような出来事に好奇心を持っていると思いますが、次々に興味深い出来事が表れることが当たり前なので、それほど多くのことを感じないと思います。
大人になると初めての体験が少なくなり、初めて出会う出来事があっても結果を見通せるので、この出来事が幸せだと思わなくなっていきます。そして毎日、同じように訪れる日常を退屈だと思い、当たり前の日常を幸せだとは思わなくなるのです。
一般的に、特別なこと、注目されること、非日常的な体験があると幸せだと感じると思います。でも滅多に訪れない出来事は特別なことであり、多くの人は注目されることはありません。そして非日常的な体験も滅多に訪れないのです。
では幸せを感じるために必要なことは、日常の中に「幸せが見える」ようにすることです。
指でメガネを作って見ることで日常の景色が違ったものに見えると思いますし、そう見えることが幸せだと思うのです。
心で幸せを感じているなら、忽ち、日常が幸せなものに変化し、当たり前の出来事を幸せだと感じることができるのです。今、私達が生きている日常こそが幸せな特別な日なのです。
指でメガネを作って覗いてみましょう。「幸せが見える」なら、心が幸せを感じています。