コラム
コラム
2012/7/9
1072    入院三日目(平成24年6月30日)

父親の様態が回復に向かっています。本当に全ての皆さんに感謝しています。三日前の木曜日には「家族に集まってもらって下さい」という医師の言葉があり、余りに突然のことに心が空中に浮かんだような気持ちになりましたが、三日で回復に向かったことは奇跡的で、適切な処置をしていただいた医師、看護士の皆さん、祈りを捧げてくれた皆さん、そして強い精神力で持ち堪えてくれた父親に感謝しています。本当に良かったと安堵感に浸っています。

集中治療部長と話をする機会をいただきました。この素晴らしい部長に出会えたことは幸運です。金曜日の夜、話をした時に安心感を与えてくれました。「山場は続いていますが、全ての数字は改善されつつあります。治療方針は間違っていないと確信しています。油断できませんが三日間が山となります」と家族に安心を与えてくれました。専門家からの明確で安心できる言葉が家族には必要なのです。難しいことを簡単な言葉で伝えることは、医師の世界でも政治の世界でも同じことだと思います。このような家族を勇気づける素晴らしい言葉が、今までにどれだけの人を救ってきたのでしょう。

そして部長と交わした会話は心に残るものです。

「私は6歳の時に父親を亡くしました。ですから81歳の父親の看病ができることは幸せなことだと思いますよ。私は若い時の父親の顔しか知りません」。

「本当にありがとうございます。木曜日はどうなることかと思いました。今日の顔色、部長の言葉を聞いて安心が広がっています」。

「私は自治医大出身です。そのため和歌山県内のいくつかの病院に勤務した経験があります。若い頃に勤務した大塔村、高野山は第二の故郷だと思っています。高野山の病院の院長先生は先輩ですし、副院長は後輩ですよ」。

「地域医療をどうするのかは大きな県の課題となっています。優秀な医師が勤務してくれていることは喜ばしいことです。人の生命を守ることに最善を尽くしてくれている先生がいることは心強いものがあります。先生の安心を提供してくれる言葉に救われています。そして担当してくれている若い三人の医師にも感謝しています。三人とも若くて強い意思を持っていることが伝わってきました。安心できると思わせてくれる表情だったので信頼感がありました」。

「医療が皆さんに役立っていることを嬉しく思います」。

「実は後悔していました。ここ半年ほど、仕事がいっぱいで父親に会う機会が少なかったのです。もっと会って話をすれば良かったと後悔していました。それを救ってくれたのは先生です。父親と話し合える時間をもらえたことに感謝しています。医師の先生は素晴らしい仕事をしてくれています」。

「若くて優秀な先生が多くいます。地域医療に尽くしたいですね」。

「ありがとうございます。最後までよろしくお願いいたします」。

父親がいる前でこんな会話が交わせることは幸せなことです。山場を少し乗り切れたようです。まだ集中治療室を出るまでには至っていませんが、自力で血圧を上げているようです。血圧を上げる薬を投入していると思っていたのですが、それをなくして自力で100〜66までの間の数字で推移しています。まだ血圧は少し低いのですが、木曜日よりも随分回復しています。

今日は体調が良かったことから昔の話しをしてくれました。父親が若い頃、当時の和歌山市では珍しい単車ハ−レーに乗っていたことを初めて聞きました。半分は貯金、半分とはどうして拠出したのか分かりませんが、先進的な行動をしていたようです。

また社会に出た時の初任給は220円だったことも知りました。但し3年後には300円になっていたことから、昇給率は高かった時代だったようです。

そしてこんな話を聞きました。「母親(おばあさん)はいつも言っていました。年の順番にいくのが幸せなことだと。年、順番が逆になることは不幸なことなので、父親が先にいくのは幸せなことです。ただ、後2年から3年は生きたいなぁ」。

命の大切さ、父親と会話ができる幸せ、親子の絆など多くのことを学びました。とても大切なことを学びました。学んだ答えは、命ほど大切なものはないということです。誰でも分かっていることですが、そんな大切なことができる時間を大切にしていないのです。

大切な人と過ごす時間は何時までも確保されていると勝手に思っています。しかし何時までも確保されているものではないのです。限られた時間の中で何を話し、何を伝えるのか。命のメッセージこそが生きている意味なのです。