コラム
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2012/7/3
1068    3DAYS

映画のタイトルにもあったような気がしますが、平成24年6月28日、木曜日の出来事は忘れることはできません。人生、突然何があるか分からないことを、身をもって知りました。突然、音を立てて訪れる訪問者に対して、人は立ち向かう術を知りません。ただ不安感が心の中に充満し、生きていて欲しいこと以外に何も欲しくないという思いがあるだけです。

40度の高熱で救急車で日赤医療病院に運ばれた父親の顔を見に行こうと思って行ったところ、「状況は良くないので家族と親戚に連絡をして、今日中に来てらって下さい」という通告。余りに突然ことで状況は理解できませんでした。

その日も用件があったのですが、木曜日と金曜日の予定は全てキャンセル、父親に付き添いました。予期せぬことに病室は集中治療室でした。勿論、初めての経験です。今までいて当然と思っていた父親が、もしかしたら存在しなくなるという不安感は現実のものとは思えませんでした。いるべき人がいなくなることは想像もできません。

誰のところにもいつか来る日ですが、日常の中においては、決してその日が来るとは思っていません。感情とは自分が思っているほど安定していないもので、込み上げてくるものを抑えることはできません。

「今日が山ですね。決して良くありませんが、万が一の場合のことを家族で話し合って、夜までに結論を出して下さい」という宣告。つまり生きる力を失った時の対応をどうするのか話し合って下さいということです。その時が来た場合、呼吸器を装着して延命を図るのか、呼吸器を装着しないのかを家族で決めて欲しいという課題が突きつけられました。

この事実への対応は難しいものです。呼吸器をつけても延命できたとしても意識は戻らないと告げられましたし、呼吸器をつけない決断をした場合、即座に死を迎えるということだからです。

家族の思いは「何としても生きて欲しい」ということだけです。ただ意識もなく呼吸器があるから生きているだけという状態は決して父親が望むものではないことも事実です。どうしたら良いのか。家族で出した結論は、「最後まで生きる可能性があれば諦めないこと」でした。そのことを医師に告げた後、父親は集中治療室に運ばれました。「もしかしたらもう話をすることはできないのでは。もっと話をしておけば良かった」という後悔ばかりが頭を巡りました。「生きて帰ってきて欲しい」。そのことだけを祈りました。

結果、木曜日の山は越えました。眠れない夜、悔の夜は消え、朝日を見ることができました。何事もない朝を迎えることが、これだけ幸せなことだということを知りました。悪魔のような夜が過ぎ、朝日と共に天使が舞い降りてくれました。

天使と悪魔。これも映画のタイトルにありますが、確かに天使と悪魔は同時に存在しています。人の心の中にも、時間の中、夜と朝の間にも存在しています。そしてどちらを迎え入れるのかは、実は人の心次第です。そんな三日間の出来事の中での気持ちを、その日、その日に綴りました。コラムらしくないのですが、明日から四日間に亘って掲載します。