作品「希望」
2人の友人の画家を訪ねたところ、作品「希望」を見せてくれました。
「この作品には『希望』とタイトルをつけています。作品では男女がダンスを踊っていますが、この二人は若くはなく、過ぎ去った日の思い出としてダンスシーンを思い出している場面です。背景に遊園地を描いているのは、これも若き日の思い出です。だからと言って二人は恋人を想定しているのではなく、誰にでもある若い日の思い出を二人が全ての人を代表して思い出している場面を描いています。
そして右下に注目してください。最初は描こうと思っていなかったのですが、この個所に宇宙を描きました。若い日の思い出と共に宇宙への入り口を描きました。この意味は見てくれた人が想像してもらうと良いのですが…。年を重ねて地球に別れを告げるときが訪れても、次に行くべき世界の扉が開かれているのです。希望は年齢に関係なく持ち続けるべきもので、例え死が近づいてきたとしても希望は続いています」と話してくれました。
「希望」とは若い日だけのものではなく年老いても持ち続けられるものであり、お別れの日が訪れても「希望」は持っていけるのです。死ぬと何も持っていけないと言いますが、「希望」は持っていけると思います。「希望」を持てる去り方をすれば、次の世界は「希望」のある世界になると思いますし、次の世界がないとしても「希望」を持って去ることができたら後悔はないと思います。
「希望」とは若い日から年齢を重ねたときでも自分の意思で持てるものであり、この世を去るときでも「希望」を持つべきだということです。作者にとって一つの作品には意味を込めていて、それは見る人に感じ取ってもらいたい願いであり、この作品の場合「希望」を与えたいと思っています。
実際、作品とタイトルを見て深い意味まで想像しにくいものですが、多くの絵画は「希望」を感じるものだと思います。絶望や暗闇を感じさせるような作品もありますが、作者は「そんなときでも希望がある」ことを表現していると思います。時代を超えて生き残っているものは「希望」があるものに限られていると思うからです。それは「人は希望があるから生きられる」という人類の歴史が証明しています。
本日、見せてもらった「希望」は、まさに明るい未来を描く「希望」ですが、明るい「希望」を持つためには、若い日の思い出が必要だということです。何もないところから「希望」は生まれません。何か「希望」につながる思い出や体験があるはずです。その代表例として「作品」ではダンスと遊園地を描いていると思います。
ところで二人の画家の「希望」はと言うと、「亡くなった後にこれまで創作した作品を展示してもらって、後世の人達に観てもらえること」だと話してくれました。画廊に残すのではなくて、多くの方に観てもらうことが願いであり「希望」なのです。幸いなことに「50点ぐらいは展示できる場所を画廊として改装し確保できる見込みです。寄贈や奉納する以外の全ての作品を、将来展示してくれる建物に移動させるつもりです」と話してくれました。
これは、画家がこの世に別れを告げるときに向かう「希望」です。命が絶えても作品は残りますから、自らの「希望」となり、後世の人が鑑賞してくれたときに「希望」を与えることになります。
一つの作品を元に、話が展開できることは幸せなことであり、絵画をテーマに画家と話ができることを嬉しく思います。私は時々、美術館を訪れますが、絵画の解釈に基準はないと思っています。作者の意図はあるにしても、解釈や感じ方は観る人のものであり、どんな解釈をしても間違いはありません。だから絵画鑑賞は感性を高めてくれますし、作者と違う解釈をする自分という価値を与えてくれます。だから美術館を巡ることは、いつも新鮮なのです。この作品「希望」を、より多くの人に観てもらえるようにしたいと二人の画家と話し合いました。


