歴史と物語
お世話になっている画廊を訪ねました。顔を合わせると直ぐに「片桐さん、今回の選挙はよく頑張ったと思います。私たちは悔しいよりも、よく戦ってくれたと思っていますから片桐さんの挑戦は本当に嬉しいです」と伝えてくれました。
画廊にいた皆様が「片桐さん、残念だったけれど良くこれだけ得票したと思います。片桐さんの頑張りと人柄だと思います」と言葉をかけてくれました。
更に「大きな組織に立ち向かったことに価値があると思います。片桐さん陣営の戦いは凄かったと聞いていますし、片桐さんを評価してくれている人が多いですよ。次につながる結果だと思いますし、片桐さんが思っている以上の評価を得ています。心配していたのは片桐さんが落ち込んでいないかでした。でも元気でいてくれていることで安心しました。
私たちは歴史を重ねています。どんな物語でも歴史があります。片桐さんの挑戦はもう歴史になっています。挑戦することが凄いことであって、今夏は歴史になっている戦いです。人間は歴史を無視して生きられないものなので、和歌山市の歴史に片桐さんが物語をつくったのだから、歴史の重みを感じて欲しいと思いますし、未来は歴史の上に成り立っていることを感じてください。歴史を無視した歴史はあり得ませんから、まず歴史に物語を残したことは凄いことであって、また物語をつくっていって欲しいと思います。私たちは全員が片桐さんの物語は凄かったと思っています。
全ては歴史に書かれているので、何年経っても片桐さん陣営の戦いは事実として刻まれています。
歴史を遡ると神代文字にまで至ります。この文字は歴史上存在しなかったと結論づけられていますが、私はそうではないと思っています。文字が大陸から伝わってくる以前の日本が、意思疎通の手段がなかった、つまり言語がなかったとは考えられないのです。人はコミュニケーションを図る生き物なので、文字がなかった、意思疎通の手段がなかったことはあり得ないことです。私が古い神社を訪ねるとそこには神代文字がありますし、存在していなかったと言えないと確信しています。だから私は神代文字をデザインしたオブジェを制作していますし、縄文時代には日本古来の文字が存在していたと思っています。そうでなければ集団生活は出来ていなかったと思います。人が集まるとコミュニケーションが必要になります。コミュニケーションがない社会、集団はあり得ませんから、文字が伝わる以前の社会では神代文字によってコミュニケーションを図っていたと思うのが自然です。
縄文時代以前にわが国の文明が存在していたと思いますし、文明とは言葉であり社会生活ですから文字はあったはずです。それを否定することはわが国の歴史、築いてきた物語を否定することですから、常識的にはあり得ません。
私が片桐さんに伝えたいことは歴史を知り、そこにあったと思われる物語を土台として現代を切り拓いて欲しいと言うことです。歴史も物語も薄っぺらなものではありませんから、それを土台とした活動をすることが支持されるために必要なことです。
もう一度言いますが、片桐さんは歴史を刻み物語をつくったのですから、今年の戦いを土台にすべきです。一から出直すのではなくて、今の延長線に今後の活動を乗っけるべきです。和歌山市の未来は今の延長線にありますから、今回の政策を生かせるようにすべきだと思います。それが次点になった片桐さんがやるべきことです。
私は片桐さんを支持していますし、この次も期待しています。私たちは、片桐さんが存在していることを有難いと思うべきです。そのためには、もっと知ってもらわないといけませんね」と話してくれました。


