昭和殉難者法務死追悼・年次法要
高野山奥之院で開催された昭和殉難者法務死追悼・年次法要に出席しました。毎年執り行われている法要の案内をいただき、私は毎年欠かさずに出席しています。ここで私は、先の大戦で尊い命を落とされた英霊たちの御霊に平和の祈りと感謝の氣持ちを伝えています。現代の平和な日本があるのは英霊たちのお陰であり、その意思に応えることが現代に生きる私たちの務めだと思います。
祭主の挨拶の中にも「平和な世界を願っていますが、現代の世界は紛争と混乱、秩序が乱れ、平和とは言えない状況に陥っています。恒久の平和を願う私たち日本国民として、大東亜戦争の教訓を生かして平和を訴えていきたいと思います」という趣旨の言葉がありました。現在、世界で起きている紛争は日本の関心外のことではなく、世界平和に貢献するわが国としてメッセージを発信すべきだと思います。
高野山に祀られた英霊たちは力での解決を望んでいることはなく、平和的解決を望んでいるはずです。権力者が武力により相手国を押さえつけようとして平和が訪れた歴史はないと思います。必ず反発が起こり、その後の秩序が乱れることになります。平和を願う私たち日本国民は歴史の教訓を生かし解決に向けた道筋を示したいと願うばかりです。
高野山真言宗総本山金剛峯寺座主大僧正の御導師のもと約1時間に及ぶ法要は、ここからの世界平和の祈りが遠くまで届いたことと思います。一人の願いは同じ思いを持つ人の下に届きますが、参加した私たち全員の平和の心は世界各地に届けられると信じています。思いは共鳴しますし入口と出口はつながっている理論も現れたように、平和への思いは通じると確信しています。
高野山奥之院に建立されている昭和殉難者法務死追悼碑の前には、殉難した英霊の名前が刻まれていて、その生きた足跡を今に刻んでいます。法要で英霊の生き様と生きた時代を偲ばせることで、現代を生きる私たちは平和な社会を築く使命を感じ取ることができます。平和は突然出現したものではなく、先の時代を生きた人達が築いてくれた宝物なのです。
私たちはこれを崩すことなく、少しでも上乗せして次の時代に引き継ぐことが使命です。この年次法要は続けることでその精神が引き継がれることになり、途絶えてしまうと尊い使命であっても、やがて忘却の彼方へと追いやられる危険性があります。毎年続けていることが時代を超えて引き継げる価値であることを感じます。その一員になれる法要の時間は心穏やかに、そして感謝と祈りを捧げる時間になります。
世界平和を願う心が、自身の身体を高野山に導いてくれているようです。一年に一度英霊と向き合える時間、英霊の想いを感じ取れる時間がここにあります。世界平和を願う祭主の氣持ちが私たちに伝わってきますし、願わくばこの先も継続して欲しいと願うばかりです。
毎年のことですが、この場を作ってくれている祭主に心から敬意を表します。祭主の心からの世界平和の願いが天に届いたと思います。
高野山で感じたことは、紛争や混乱が続く世界にあっても、信仰の町である高野山は平和に包まれているということです。山内にはヨーロッパからも観光客が訪れていましたが、高野山を楽しみ、日本食を味わい地元の人達とコミュニケーションを取っている姿がありました。
もう恒常的な光景なので慣れていますが、国が異なってコミュニケーションが取れているにも関わらず、どうして紛争が起き殺し合っている現実があるのか分からなくなります。私たちは、平和は築くものであると理解しているにもかかわらず、いとも簡単に平和を崩してしまうのです。崩れてしまった後の祈りは虚しさが残るように感じます。希望と虚しさの違いは、将来の平和な社会か秩序が崩れた社会の違いになって現れそうに思います。
世界の平和を感じ、考える日になりましたこと感謝しています。明日も平和な日が訪れますようにと願っています。


