活動報告・レポート
2026年3月21日(土)

陳さんと勝太郎in大阪(開会挨拶)

陳さんと勝太郎in大阪

「陳さんと勝太郎in大阪」講演会に参加しました。昨日の和歌山での講演会に引き続いて参加しました。会場は大阪大学中之島センターで、勝太郎氏のお孫さんと姪御さん、東京台湾の会小川会長や、元日本台湾交流協会事務所古田副所長など関係者の方々も東京からお越しいただいていました。

小川会長は「陳さんと勝太郎」の短編映画を制作していますが、それは「陳さんの熱意に動かされたからです。陳さんの言葉『わけの分からん(分からない)情熱』に動かされて、私も『わけの分からん情熱』が生まれたので制作しました」と話してくれました。どの時代でもどの国の人でも、熱意と情熱は人を動かす力を持っています。そんな陳さんと関係のある皆さんと会話を交わし、そして陳さんの感動の話を聞かせてもらいました。

陳さんと勝太郎in大阪 陳さんと勝太郎in大阪

開会に際して主催者挨拶に続いて、私も挨拶の機会をいただきました。

皆さん、こんにちは。陳さんの講演会を楽しみにしてきました。実は昨日、和歌山市内で陳さんの講演会を開催したのですが、参加者の方々から感動の意見をいただいています。今日も陳さんの話で感動の講演会になると思います。

私は一昨年、台東縣に行きましたが、その時に案内してくれたのが陳さんです。台東縣のきれいな海、このイーストコーストは絶景でした。その後に案内してくれた古い建物がありました。当時菅宮勝太郎さんのことは知らなかったので、誰の邸宅だろうと思って話を聞いていました。説明を聞いて日本人であり台東縣の漁港や道路などのインフラ整備に尽力した勝太郎さんの邸宅だと知ったのです。勝太郎さんに縁の人を探している陳さんの案内から「戦後、台湾と日本の友好を築いてくれた日本人がいたんだ」と感動しました。そこで勝太郎さんのことを陳さんから学び、陳さんの100分の1ぐらいの知識ですが、勝太郎さんを知ってもらうための説明も行っています。

陳さんと勝太郎in大阪

そしてこれも知られていないことですが、陳さんは大阪と和歌山にとって恩人なのです。

もう6年も7年も前のことになっていますが、コロナ禍初期、マスクやグローブが品薄で入手できない時期がありました。社会全体が混乱していましたが、特に医療現場は困っていました。そんなとき、陳さんは「日本のために」と思って台東縣政府に掛け合ってくれたことから、大阪と和歌山県にマスクやグローブ、雨かっぱなどを贈ってくれたのです。相当な量の寄贈を戴き、医療現場などが助かったのです。勝太郎さんのご縁で日本との友好を築いてくれている陳さんが、私たちの地域を助けてくれたのです。

本日は、そんな陳さんの話を聞く機会に恵まれました。陳さんと勝太郎さんの物語を聞かせていただき、台湾と日本との友好と世界平和に資するための力になると思います。一緒に陳さんの感動話を聞きたいと思います。本日はありがとうございます。

以上の趣旨の挨拶を行いました。

またお孫さんの満井紀子さんと話をしている中で、次のような話を聞かせてくれました。「私は台湾で生まれました。その後帰国するのですが、祖父のお墓に参ってから帰国する時、その時居合わせた陳さんに祖父のたくさんの古い写真を預けました。陳さんはその写真をどうしたらよいか分からなかったと思いますが、陳さんはその古い写真に写った人物を探して回ってくれたのです。帰国して数年後、私のところに陳さんが電話をくれました。『勝太郎さんにご縁のあった人物を一人で探しています。でもみんなに馬鹿にされているので、どうしようと思っています』との話でした。しかし挫けることなく関係する人物を探し続けてくれたのです。

陳さんと勝太郎in大阪

祖父の勝太郎が幸運なのは陳さんがいたから、台東縣で祖父が行った事業を記録してくれたので物語として語れるようになったことです。大戦後、台湾から引き揚げた日本人は何十万人もいたと思いますが、そのほとんどの物語は伝えられることなく消えてしまっています。何十万の物語がもっともっとあったはずなのに語られることはなくなっています。祖父が行ったことは、当時の日本人なら誰でも同じような気高い行動をしたと思います。だから祖父がやったことは特別なことではないのですが、今に物語として残っているのは陳さんのお陰です。祖父の古い写真に命を吹き込んでくれた陳さんに感謝しています。8年間も一人で祖父に関係した人を探し続けてくれているのです。ここから学ぶことは国と国との愛、人と人との愛を感じて欲しいということです。

私たち日本人は台湾の近代史を学んでいません。だから当時、台湾で何が起きていたのかを知らないのです。学ぶことで台湾と日本との関係を理解できるのです。当時の欧州の植民地政策は奴隷にするためでした。台湾を統治していたのは順にオランダ、スペイン、中国の国民軍、そして日本でした。日本が行ったのは欧州の植民地政策とは全く違って、台湾を日本と同じような衛生的で豊かな生活を送れる国にしたかったのです。日本人は奴隷制度を取っていなかったので、台湾も日本と同じ国にしたいと思っていたので、まちのインフラを整備し、日本の教育制度を導入したのです。欧州の植民地政策と日本の政策は全く違うことを分かっていないのです。

日本は台湾を占領するのではなくて日本と同じような豊かな国にしようとしたのであって、それは世界に稀な日本人の心だったのです。欧米の国々は日本人の心を理解できないと思いますし、最近の日本人も理解できない人が増えているように感じます」と話してくれました。

お孫さんは元防衛庁に勤務していたこともあり、世界に誇れる日本人の心を有している方でした。