新春恒例の初釜に参加しました。一年で最初のお茶席にお招きいただいたことに感謝しています。毎年、この席に座ると、まだお正月の氣分を少し味わうことができ、同時に今年一年の仕事が始まるぞという節目の空気を感じます。約2時間の初釜の席には約10名が参加して、先生のお茶のおもてなしを堪能しました。先生が点ててくれた一服のお茶をいただくと心が落ち着きますし、大切な人を自宅に歓迎してくれることの嬉しさを感じることができます。一服のお茶は大切な客人をお迎えする心配りであり、お招きを受けた方も同じ場にいられることの幸せを感じることができます。
先生との会話は正客に委ねられますが、その話を聞くことで70年間に及び茶道を極めてきた先生の心配りと覚悟を受け取ることができます。新春に合わせて用意してくれた数々の茶器はこの一日のためだけのものがあり、特別な時間であることを意識させてくれます。
茶器に施された富士山や松の図柄はお正月ならではのものですし、他にも特別な人を迎えるための茶器を用意してくれているからです。
先生は「お茶の道具は買い集めてきたものではありません。人生の節目や誕生日など記念となる日に購入したものばかりであって私の人生の一部になっていますから、その時々の心や時代を覚えています」と語ってくれました。
つまり先生の人生を彩ってきたその時々の鮮やかな色彩を、私たちに贈ってくれているように感じます。続けて「でももう購入しないでもよい年齢に差し掛かってきました。これまで積み重ねてきたものを大事にしたいと思います」と愛用の茶道具について話してくれました。
先生の言葉から感じたことがあります。
それは、これまでどれだけたくさんのお客さんをお迎えしてきたのか分かりませんが、大切なことは今、ここにいる私たちを迎えて大切な時間を共有していることであり、今日の日のこの時間はそれ以外にないということです。つまり今の時間、環境を楽しむことが大事なことであり、昨日も明日も、この後の時間も今はここに存在していないことを示しています。
だからこのお茶席と同じように、この先訪れる時間もその時だけの時であり、そこに集中することが大事だと教えてくれています。物理的には、自分が存在しているこの時以外の時を支配することはできないのです。
初釜は約2時間ですが、この時間はこの時にだけ存在するものだと先生とのお茶のやり取りで意識することができます。お茶席を終えた後の時間も、その時だけ存在する時ですから、その時に会った人、その時に取り扱っている仕事に集中することが大事なことであって、それ以外のことは雑念に過ぎないということです。一日の中で訪れる小さな時間の単位に生きているのですから、そこに集中することがその日を生きたということです。
人は大雑把に24時間を生きているのではなくて、小さく刻まれた時間の単位を生きているのです。5分の仕事もあれば、1時間の仕事もあります。今日、10分だけ会う人もいれば、2時間一緒にする人もいます。そんな小さな時間の単位が集まったものが24時間になっているのです。私たちには空白の時間はなく、連続した小さな時間の単位を生きているのですから、休憩時間も含めてすべて大切な時間なのです。
当たり前のことですが、今日のこの時間は二度と現れません。二度と訪れない今の時間を生きていると意識することで、疎かな時間を過ごすことはできなくなります。今年の初釜は、そんな人の生き方を教えてくれるようでした。先生を始めご一緒させていただいた皆さんに感謝しています。


