日頃からお世話になり尊敬している落合莞爾先生宅を訪問し、新年の挨拶を交わすと共に歴史談義を行いました。新春からとても勉強になりました。
今回のテーマは「日本と中国、そしてアメリカとの関係」についてです。詳しくは記すことはできませんが、プラザ合意以降から現代に至る日本とアメリカとの関係、加えて中国と日本の関係を軸とした歴史を考察しました。当たり前のことですが世界は日本単独で動いているわけでもなく、日本の意思だけで動かせるものではありません。ワンワールドの世界にあって、世界の動きを知るために金融を知ることが必須です。
歴史的には1985年(昭和60年)9月のプラザ合意の後に日米半導体協定が締結されています。これは1986年(昭和61年)9月に半導体に関する日米貿易摩擦を解決する目的で締結された条約で、この協定締結によって、1981年(昭和56年)には世界の半導体市場の70%のシェアを誇っていた日本の半導体産業が1990年代以降に急速に国際競争力を失っていきます。
1986年当時の半導体の売上世界ランキングは次の通りです。
世界1位、NEC、2位、日立製作所、3位、東芝、4位、モトローラ、5位TI(テキサス・インスツルメンツ)、6位、Philips、7位、富士通、8位、松下電器産業、9位、三菱電機、10位、インテルでした。アメリカは貿易赤字を抱える原因を「米国は競争力を持ちながら、日本市場の閉鎖性によって対日輸出が増加しない」ことが原因であると主張し、この協定を締結することに成功しました。
この時のことを中曽根康弘元総理は「1985年は日米経済関係が緊張した時代に入った。アメリカは繊維、通信機器、自動車など日本を代表する産業をアメリカへの輸出過多の品目に一つ一つ手当てをしていった」と述べているように、日本を代表する産業がこの時代を境に凋落していったのです。落合先生は、この中曽根元総理の言葉の通り「アメリカは日本の繊維、家電、鉄鋼、自動車をアメリカに優位に働くよう仕向けられたことに半導体は同じ轍を繰り返してならないと考えた」と話してくれました。
その次に続く竹下元総理は日本の半導体のシェア、つまり協定文言上含まれた20%の数値目標を達成するために、半導体技術を韓国、台湾そして中国へと移転することに仕向けたのです。
つまり日本の意思で日本の半導体産業の技術は韓国、台湾、中国へと技術移転した結果が現代に至っているということです。半導体技術をアメリカに渡さなかったのは30年かけてこれらの国から関係を築いてきた戦略があったのです。中国に資本と技術を提供したのが日本であり、現代中国をつくり上げたのがわが国でもあったのです。1980年当時、日本はアメリカに次ぐ経済大国で、中国は日本に言うに及ばず韓国にも抜かれる危険性があったほどです。では何故、日本が中国を経済大国に引き上げる必要があったのかという疑問があります。その理由はここでは記しませんが、歴史には全てそうすべき必要性があるのです。そして歴史を動かすためには資金が必要であるのは言うまでもありません。資金を提供する国(人)、提供を受ける国(人)ともにメリットがあるので、関係性が構築できることを忘れてはいけません。
2020年代前半から今日にはアメリカ企業が先端製造で遅れ、インテルがサムスン電子やTSMCに売上高や製造能力で抜かれたうえ、中国が半導体生産能力を高め続けるなど成果をあげています。この結果をどう評価すべきか考えてください。
話を戻しますが、プラザ合意が起点となり失われた30年へと続く日本の長期経済低迷につながったとの説がありますが、プラザ合意と共に日米半導体協定締結が日本経済低迷への引き金になっていると言えます。これらに関係したのは竹下元総理で、当時の宮澤喜一氏は「竹下さん、あなたいったい何をしてきたのですか。自分がやってきたことがわかっているのですか」と批判しています。
そして歴史は生き物であり、2018年から起きている米中貿易戦争で日本のプラザ合意が再び注目され始め、日本の福田康夫元総理やプラザ合意当時に官僚だった元日本銀行副総裁の岩田一政氏が人民元切り上げを求めるアメリカの圧力に応じないよう助言したことが反響を呼びました。
現在、中国とドルペッグで元高への誘導を防止していますが、アメリカは中国が通貨安誘導を行っているとして相殺関税の導入や25年ぶりの為替操作国の認定でこれに対抗しているところです。この背景を知らずして日本とアメリカ、そして中国との関係を理解することはできません。全ては経済が国力対抗に起因しています。そして経済戦争を避けるために必要なものは、歴史から見ても分かる通り文化交流ということになります。


