メキシコシティ公式訪問の2日目は、メキシコ和歌山県人会40周年記念式典出席、及び「ひまわりの会」主催の歓迎式典に参加しました。
両式典とも会場は日墨協会の敷地内にあり、広い敷地には交流できる会館、レストラン、メキシコ移民美術館などの建物が揃うとても立派な施設でした。日本を離れメキシコに来た先人たちが、これだけ広い敷地を購入し、立派な設備を維持、管理してきた経緯は苦労もあったと思いますが、本当に素晴らしいことだと思います。
さて「ひまわりの会」では、日本式のお弁当でおもてなしをしてくれました。「ひまわりの会」会員の中にお弁当を作って販売している方たちがいるので、同会の会合の時は日本式のお弁当で懇親を深めているようです。
この「ひまわりの会」は日本からメキシコに移民してきた皆さん方が集まる会で、月に2回、この日墨協会会場で行っているそうです。お互いの趣味の交流をしたり、音楽を楽しんだり、会話を楽しんだり、メキシコシティにおける日本人のコミュニティーの場になっています。私と同じテーブルには熊本県出身、東京都出身、沖縄県出身、長野県出身の方々がいましたが、それぞれメキシコでの生活を聞かせていただきました。
メキシコシティは治安が良くないのは夜間だけで「氣をつけていれば大丈夫です」と話してくれました。みんな人柄が穏やかで、一緒に苦労してきた経験を持っているので「集まることが楽しいと思える会です」と話してくれました。メキシコシティでのゆったりとした生活環境は日本では馴染みのないものですが、今ではすっかりメキシコ人と同じような生活をしています。
しかし日本人であることに誇りを持ち、民間で日墨友好の架け橋となっているのは事実です。メキシコでの生活に溶け込み、日本の良さ、日本人が持っている誇りをメキシコ人に伝えてくれていることで、メキシコ人は今も「日本のことが大好き」だと言ってくれているのです。
メキシコ人が日本を好きなのには理由があると話を聞きました。元々メキシコはスペイン領だったのですが、スペイン領フィリピンで暮らしていたスペイン人が、当時スペイン領だったメキシコに向かったが千葉県沖で遭難、船が大破しました。その時、村人が遭難したスペイン人乗組員を助けて生活のお世話をしながら帰国用の新しい航海用の船をつくり、その後、スペイン人は無事にメキシコに辿り着くことができた歴史があります。今から約400年前の話だそうですが、それ以来、メキシコは大の親日国になっています。
明治になってからも友好関係は続き、日本と最初に不平等条約を改正したのはメキシコでした。当時は先進国であり、外務大臣である陸奥宗光伯の活躍もありましたが、メキシコは親日国だった背景もあるようです。
「ひまわりの会」の方からの話を伺うと「日本と対等条約を結ぶことによって、他の国も続くことを願って、最初に条約改正に応じてくれた」とのことです。現地に行って話を聴くと歴史の背景が分かることがありますが、「ひまわりの会」の方からの話はまさにその通りのものでした。
「ひまわりの会」の皆さんの歓迎を受けた後、敷地内にあるメキシコ移民美術館を見学しました。ここでは日本人がメキシコに入植した当時からの資料が残っています。当時は果物の栽培や時計の修理などを行い暮らしていたということです。
その後は、同敷地内にある会場に移動して「メキシコ和歌山県人会40周年記念式典」に参加しました。メキシコ大使や日墨協会会長など約160人が参加した盛大な式典でした。実行委員会の皆さんが、私たちを歓迎するために企画を考えてくれたものです。
メキシコの伝統的な踊りやマリアッチの演奏は深く心に残るものでした。メキシコ料理と言えばタコスですが、そこにグリンガ、またはパストールと呼ばれるタコスによく似た料理もあり「おいしいから食べてみてください」と案内をいただきました。豚肉、パイナップル、玉ねぎなどを使った料理で、メキシコでは日本のおにぎりのような主食だそうで「私たちは毎日食べていますから、おいしいですよ」と話をしてくれました。
午後6時に始まった記念式典が終了したのは午後10時。このうち最初の1時間40分は来賓の挨拶と表彰式でした。
長いように感じたので隣の人と話をしたところ「メキシコ人は肩書のある人の話を聞くのが大好き」だと教えてくれました。確かに1時間40分の間、ずっと真剣に話を聞いて拍手や「ブラボー」の掛け声が飛んでいました。メキシコ人にとって地位のある人からの話は自分のためになるので「聞くのが当然」だと尊敬して聴いているようです。
再び「1時間40分の挨拶でしたが、全員の話を聞いていたのですか」と尋ねると、「来賓の皆さんの挨拶はしっかりと聞いていました。私たちは式典での来賓挨拶を聞くことをとても楽しみにしているのです」と答えてくれました。
この記念式典はとても厳かな雰囲気の中で進行しましたが、第二部の懇親会に入った途端にラテン系のリズムに合わせ、一気に賑やかな雰囲気になっていきました。舞台で演奏されたのはマリアッチです。演奏も素晴らしいのですが、登壇した人の歌声も素晴らしく、マリアッチの5曲の演奏が終わった後、歌と踊りの場面へと転換しました。ここからはラテン系のノリが入り、参加者は席を立ち上がり、舞台で、そしてテーブルの周りで踊り始めました。地元の皆さんに簡単に曲に応じた踊り方を教えてもらって、私たちも一緒に楽しい時間を過ごすことができました。
メキシコは空気が薄いこともあり息が乱れる場面もありましたが、メキシコ人から「ユアメキシカン」と呼ばれるなど、一緒に楽しい時間を共有できたことは生涯持ち続けられる楽しい思い出になりました。
実行委員の方々は「もう40周年記念式典が終わることをとても寂しく思います。和歌山県から来てくれた皆さんとお別れするのは寂しい。ぜひ再びメキシコを訪れてほしいと思いますし、和歌山県で和歌山県人会世界大会を開催することをお願いします」と話を伝えてくれました。
今年で40周年を迎えた和歌山県とメキシコ和歌山県人会との交流ですが、和歌山県からメキシコの都市、シナロアに初めて渡ったのは今から約90年前のことだそうです。ですから90年の歴史を持つ文化交流と言うことになります。
実行委員会の方は「この歴史を大切にしながらも、私たちには未来があるので、この先の40年間を築いていきたいと考えています。私たちは和歌山県を誇りに思っているので、交流機会を継続したいし、これから何度も和歌山県を訪れたい」と話がありました。私たちにとっても有難いことです。
やはり人は顔合わせて同じ時間を共有することで分かち合えることがあります。約12時間の移動時間をかけてこの式典に参加した甲斐がありました。
これからも和歌山県とメキシコ和歌山県人会との友好関係をさらに発展させていきたいと考えています。


