お坊さんから「学校や刑務所などで卓話をしていますが、一番難しいのは高齢者住宅でしたね。何故かというと使う言葉を選んでいるからでした。例えば死を連想させる言葉は使えませんし、健康や元気といった言葉も使いにくいのです。加えて、話をした結果の反応が分かりにくいので、話の展開に迷うことがありました。
しかしある時、思い切りました。誰にでも死は訪れるものであり、命に限りあることは分かっているので、恐れずに使ってみようと思いました。それ以降、生と死に関する話もするようにしていますが、皆さんの反応があるのです。やはり生と死は関心のあるテーマであり、死について考えることもあると思うのです。
だから私は皆さんに『余命ではないですよ、与命ですよ』と話しています。余命とは命の余りですから、余りの人生を生きることを伝えることになります。
ところが与命と書くと、命が与えられることなので、与えられた命を生きることを伝えることになります。『余命』と『与命』では話の内容が全く違ったものになるのです。だから私は皆さんに与えられた命を大切に生きましょう。何歳になってもやりたいことの目的を持ち続けて、今日を生きましょうと話しています。誰にとっても『与命』なのです」と話してくれました。
良い話を聞かせてもらいました。命は余っているものではなくて、命は与えられているものです。与えられた命はいつかお返しする日が訪れます。借りたものは返すのが当たり前ですから、命をお借りしている時間は大切な時間です。借りたものはしっかりと使ってお返しすることが使命です。お借りしたものから何も得るものがないまま、お返しするようではそれ以前とそれ以降に変化はありません。お借りしたものを有効に使って、それ以前よりも良くしてお返しすることが大事なことです。
命を与えられた時よりも、より良い時代に変えてお返しの時を待ちたいものです。「与命」を意識することで今日という日の大切さが分かります。
ところで当たり前のことですが「与命」はどれだけ与えられているのか、自分でも分かりません。もしかしたら、高齢者施設で話している側が短いかもしれないのです。だから聞く人も話す人も、今生きているこの時間が大事なのです。今を疎かにして充実した時間はありません。
私もよくしてしまうことですが、この先の予定を意識して、今この時の要件を早く済まそうとすることがあります。でも自分が対応できるのは今の時間だけで、この先の時間ではないのです。「与命」は、この先のことだけを意識するために与えられているのではありません。今、やるべきことをやって、この先につなげるために与えられているのです。
果たして命がどれだけ与えられているのか分かりませんが、与えられた命を大切にしながら今日も活動したいと思います。
- 夏の慰問の打ち合わせのため福祉施設を訪問しました。施設内で理事長と担当職員さんと会議を開き日時と演目を決定しました。この夏の企画をとても歓迎してくれているので、入居者の皆さんに楽しんでもらえるよう、これから練習を行います。
- 今週末のイベントの最終確認を主催者と行いました。歌と演武に加えて書道体験と健康活動を組み合わせることにしました。また動画撮影サービスを提供することも決定しているので、これまでなかった内容となりそうです。
- 「桐和歌会」の役員が集まり、同会会長の誕生日をお祝いしました。いつも元気で活動してくれていますが、この暑さですから今まで以上に健康に留意して活躍してくれることを願っています。今後の活動もご一緒できることを楽しみにしています。