
障がいの子ども達を応援するために絵画教室を訪問しました。教室では数人の子ども達が熱心に絵を描いていました。子ども達は自分が好きな絵を描くために画用紙に向き合っています。自動車ばかりを描く子ども、動物だけを描く子ども、一直線だけを描く子ども、一枚の画用紙にたくさんの好きなものを描く子どもなど、好きなものだけを描いています。
そんな絵の色遣いや構図は大人でも描けないほど緻密で鮮やかなのです。絵心のない大人であれば絵の構成も配色も面白みのないものになりそうですが、子ども達の絵は見ていて楽しいのです。
この教室の応援を始めてから10年以上が経過していると思いますが、当時の小学生がもう高校を卒業しているなど、随分大きくなっています。それで小さい頃のまま好きな絵を楽しそうに描いているのです。子ども達が楽しく絵を描き続けられるよう、これからも応援していきます。
「ナームの集い」に出席しました。今回は阿弥陀寺の下田住職から「地獄と極楽」をテーマに説法してくれました。説法の趣旨は次の通りです。
喜びと感謝の氣持ちを持っていることは幸せなことです。私たちは幸せな毎日を過ごしたいと思っていますが、そのためには、繰り返しますが喜びと感謝の氣持ちを持つことが必要です。かつて幸せを漢字で「為合せ」と書きました。この漢字が意味するところは「行為を合わせる」ということです。誰かと行為を合わせることが幸せなこと、つまり人と会って一緒に何かを仕上げることが幸せだということです。
私たちは、朝起きて、その日の出会いと行いが良いものであれば幸せを感じられるのです。
ですからその人と直接会わなくても心がつながっていれば「為合せ」なので、誰かと心が通い合うことが幸せの条件です。
極端な事例ですが、メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手を日本にいる私たちが応援していることも、直接ではありませんがつながっていることになります。日本からテレビを見て応援しているのですから、心はつながっているということです。

人は心がつながっていない誰かを応援することはありません。大谷選手は私たちのことを知らないけれど、私たちが応援しているのは大谷選手の行為、つまり活躍が私たちを幸せにしてくれるからです。誰かを応援することが幸せだとすれば、幸せはあちらこちらに存在しています。大谷選手を応援すること、テレビで活躍している人を応援すること、近くにいる人を応援すること。これらの全ては、その人に心がつながっているものなので、応援できることは幸せなことなのです。
また「地獄と極楽」については、どちらも向こうの世界のことですが、時間軸が現世と全く違うので、想像が難しいものでした。向こうの世界では一兆年、数千億年を過ごすのは当たり前の世界なので、極楽でいることが望ましいことです。「極楽」の言葉は、昭和の時代、お風呂に入った人から「極楽、極楽」と聴くことがありましたが、思いが叶えられることが「極楽」だということです。逆に思いが叶えられないことが「地獄」だということです。
このようにこの世にも「地獄と極楽」があるのです。願いを叶えるには親しい人がいて一緒に行動すること、つまり「為合せ」であることが必要だということです。
説法を説いてくれた下田住職に感謝いたします。
先輩の呼びかけによって懇親会に参加しました。先輩曰く「良いメンバーの集まりなので、とても楽しい時間となりました。そして楽しい時間は一瞬です」ということです。ナームの集いの言葉を借りれば「極楽」の時間ということでしょうか。そんな時間を共有できたことに感謝しています。