
和歌山縣護国神社春季例大祭に出席し、先の大戦で尊い命を国に捧げた御霊に心から感謝の気持ちを伝えました。ここ和歌山縣護国神社には命を賭してわが国を護ってくれ、そして平和の尊さを今に伝えてくれる英霊が眠っています。毎年、英霊の御霊に感謝の気持ちを伝えていますが、今年は戦後80年の年であり、大戦を経験している方も、その記憶を伝える人も少なくなっていることから、宮司から後世に伝える責務を語ってくれた例大祭となりました。
宮司からの挨拶の趣旨を、私の主観を加えて以下に記します。
「戦後80年の節目の年を迎えています。今から50年から30年前の護国神社の春季例大祭では境内には親族や関係者の方々でいっぱいでしたが、今ではテント二張りの人数になっています。それだけ遺族や関係者が少なくなり、先の大戦を経験した人も語り継ぐ人も少なくなっていることを示しています。私たちの責任は、先の大戦で命を賭してわが国を護ってくれた人がいること、その英霊は平和な国を築いてくれることを願って命を捨てたことを理解し、今の社会を平和で豊かに築いていくことにあります。そして私たちが継承して築いた平和で豊かな社会を次の世代に引き継ぐことが現世代の使命です。
ところが今の社会はどうでしょうか。英霊たちが見ていたら『情けない』と思うのではないでしょうか。私たちは英霊たちがもう一度命を授かり、次の人生も日本で生まれてきた時に『良い国になった』と思ってもらえる社会を築かなければなりません。今の日本はそんな国になっているでしょうか。先の大戦を経験していない世代が、大戦の記憶を継承し平和な国造りをすることが使命ですから、何としても英霊に向かって『私たちが平和で豊かな日本を築く』ことを誓うことが必要です。その覚悟を以もって英霊に向き合いたいと思います」と語ってくれました。

日本は二度と戦争を起こしてはいけないという思いは誰でも持っていると思いますが、英霊への感謝の気持ちが失われると再び過ちを繰り返すこともあり得ます。戦争の記憶を失わせないことが戦後に生まれて平和な社会を享受している私たち世代の責務です。
護国神社の例大祭では式典と宮司の話を通じて、いつもそのことを教えられます。日本を戦争に向かわせないことは当然のことですが、わが国は恒久の平和を祈り、世界で唯一の被爆国として世界に私たちが唱える恒久平和を訴えなければなりません。平和な社会を築くために命を賭してくれた英霊に誓いたいことです。戦後80年にあたって心静かに祈りを捧げました。

驚いたことは護国神社に久野潤教授が参列してくれていたことです。姿を見つけたので挨拶をしたところ「護国神社の例大祭に参加するために和歌山市に来ました。午前は竈山神社と東照宮に行ってきました。今日、日前宮と伊太祁曽神社の宮司にも会う予定です」と話してくれました。
そして例大祭終了後、先生と懇談する機会を得ました。日本人はわが国の歴史を正しく継承する必要があること。神武天皇以来続いている歴史を護ることが必要であることを伝えてくれました。
「記紀」では現在の和歌山市から那智勝浦町に入るまでの期間、つまり紀伊半島を南下していく行程が空白になっています。この空白を文献で埋めることはできませんが、和歌山県立図書館にある史料では口碑による神武天皇の行程が文章で記されています。私は県議会一般質問で取り上げ質疑を交わしていますが、空白の期間はないものではなく、何かがあったのです。何もないのに突然大和王朝が建国できることはありません。「記紀」の舞台になっている和歌山県はこの歴史の主役なので、この時期の神武天皇の足跡をつなげることは和歌山県の役割だと考えています。既に「わかやま歴史物語」で神武天皇のわが県における足跡を記していますが、もっと発信していくべきだとも考えています。
久野教授との懇談を通じて大切なことを得ることができました。和歌山市にお越しいただき懇談の時間をいただいたことに感謝しています。
和歌山県戦没者追悼式に出席しました。先の大戦で命を落とした英霊に心からの追悼の気持ちを伝えました。
- 会社の先輩の再就職先の職場を訪れ、約2時間懇談しました。久しぶりに会った先輩は見かけも心も全く変わっていないので安心しました。時々、訪ねようと思っています。