活動報告・レポート
2025年4月29日(祝・火)
高野山總持院
高野山總持院

高野山の總持院を訪ねて住職と懇談しました。約2時間という限られた時間でしたが、住職の話から学ぶことができました。以下、僕の主観を交えて懇談の内容を記述したものを紹介します。
- 私の仕事は「ここにいること」です。私は住職ですが、住居にいることが仕事なのです。一日でもお寺にいなければ「私が行った時、お寺にいませんでした」と言われます。少しでもお寺を空けたら、その時に来られたお客さんからこう言われるのです。だから住居にいることが職業なのです。
- 般若心経を言えることはお坊さんとしての仕事の一つですが、最近のお坊さんが勘違いしていることがあります。呪文だと勘違いしていることです。唱えられたら良いのではなくて、意味を理解して相手に伝えることがお坊さんの役割です。そうでなければお坊さんとしての値打ちがありません。
- 般若心経は「生きる」ことを伝えてくれています。私たちはこの瞬間にだけ生きています。一秒前の自分と今の自分は同じではありません。昨日の自分は今の自分とも違うのです。違うことは分かりにくいのですが、77年前に私が生まれた時はプリティなベイビーでした。でも今の私は77歳の私です。では77年前の赤ちゃんは私ではないのでしょうか。そんなことはありません。生まれたばかりの私も今の私も、どちらも私なのです。でも風貌も考え方もふるまいも全く違います。だから過去や未来よりもこの瞬間を生きている私が大事になのです。生きているのは今この瞬間だということです。
- 高野山大学で講義をしていたけれど、聴いたことを理解しなければ学ぶことになりません。聴いたことを覚えて試験で合格しても身につかないのですね。講義だから聴いたことを理解することが大学で学ぶ意味です。講義とは学問や研究の道理や意味を説くことなので、授業とは異なります。
- アメリカの大学では卒業式の前日にこう伝えられます。「皆さんが4年間講義を受けることができたのは、卒業生、皆さんの先輩が社会に貢献した結果、大学に寄付してくれたからです。先輩のお陰で皆さんは4年間講義を受けられたのです。明日から皆さんは卒業生として社会で活躍をして後輩のために大学に寄付をしてください。それが学んだ結果を次の世代に残すということです」。
先人たちが築いてくれたものの上に私たちは立っています。今度は私たちが次の世代のために土台を築くべきです。 - このお寺は焼けてしまって再建したものです。建設費だけで4億円以上かかりました。お金はかかりましたが、形あるものが残りました。形あるものとは見えるものと見えないものの二つです。箱モノが良くても心が良くなければ意味はありません。建物と心を整えることがお金の使い道です。
- どんなことでも良い物を維持していこうと思ったらお金が必要となります。お寺が永代供養をしているのはお寺を維持するための資金を集めているからです。お寺がつぶれたら永代供養はできないですよ。講義をすることやお客さんに来てもらうことで資金を得ているのでお寺を維持できているのです。社会に存在しているものはほぼ同じしくみで成り立っています。
- 人はね、自分が学んだことを人に伝えていくべきです。自分だけが抱えていても社会は進歩しないから。県政を発展させようとしても学んだことを伝えていくべきです。岸本知事は残念だったと思います。これから身に付けたものを伝えていってくれる時だったと思うから。リーダーは自分の知識や経験をどんどん伝えていくべきです。
- 高野山も道が良くなって便利になりました。だから観光に来る人も日帰りが多くなっています。便利になると来てもらいやすくなるけれど、何か工夫をしなければ山内に泊まってくれないしお金も使ってくれません。
ここには京都から料理職人に来てもらって精進料理を提供していますし、来てもらうまでに10年かかりましたけれどもね。襖絵も細川護熙元総理に描いてもらっています。良いものを用意しなれば便利になっただけではお客さんに来てもらえません。



昭和殉難者法務死英霊追悼年次法要
高野山奥の院での昭和殉難者法務死英霊追悼年次法要に出席しました。今回が32回目となるもので、先の大戦での戦没者の慰霊を行い、恒久平和の祈りをささげました。

