活動報告・レポート
2025年4月27日(日)
お見舞い
お見舞い

昨日、病室が変わり家族が病院から呼び出しを受けた知人のお見舞いに伺いました。

昨日、お見舞いに伺おうとしていたところ「病院から家族が呼ばれました」と連絡が届き、見合わせていたのですが、本日、ご自宅を訪ねたところ、ちょうど病院から戻ってきたところでした。

「ご主人さんは大丈夫ですか」と尋ねると「大丈夫です。でも容態は良くないのです」と返答が返ってきました。御子息さんは「昨日は一日病院でした。どうしても母親は無理をするので、休憩のため一旦、戻ってきました」と話してくれました。

昭和世代の母親は、休むことなく無理をする傾向があります。御子息さんもそのことを心配して帰ってきたのです。容態を伺うと「しんどがっているので、痛み止めの強い薬の投薬をしています」と話を切り出してくれました。

ご家族と会話を交わした後、「とにかくお疲れの出ないようにしてください。お医者さんに任せて、少し休憩してください。ここでご家族の皆さんが疲れてしまったら元も子もありませんから。何かできることがあれば直ぐに連絡してください」と伝えました。

入院中のご主人さんは、毎議会、テレビで見てくれて、テレビの前で応援してくれていると聴きました。そして「片桐さん、今回も頑張っているね」などと話してくれていることも聴きました。

ご主人さんのことで思い出すのは、ご自宅前で育てていたきれいな花のことです。数年前まで自宅前にプランターを置いてお花を育てていました。毎日、お世話をして季節の花を咲かせていたので、いつも華やかな玄関でした。ところが、ある日を境にしてプランターが消えてしまいました。どうしたのかと思って尋ねたところ「花がきれいに咲いた時、花を盗んでいく人がいるのです。それも花がきれいに咲いた時を狙って盗まれるのです。せっかく手入れをして話を咲かせて私も、近所の皆さんにも喜んでもらっていたのですが、心ない人の行為によって、その喜びが奪われてしまいました。咲いた花を何度も盗まれるので、プランターを撤去しました」と言う話でした。

プランターを撤去した裏側にはこんな哀しい出来事があったのです。花を育てている人の心を壊してしまうような行為をする人がいたのです。それ以来、玄関から花が消えてしまい、季節の香りが消えてしまいました。たった一人(おそらく盗んでいたのは一人だと思います)の心ない行為によって、心を痛めた人がいて、この通りを華やかにしていたプランターが消えたのです。たった一人の行為が大切なものを消し去ってしまったのです。

そんなことを思い出しました。そんなストレスがあったかも知れませんし、とにかく体調を崩したようです。何としても回復することを願っていますが、もう一度、笑顔に会えることを望んでいます。ご家族の皆さんが「主人に伝えます」と笑顔で話してくれたことが嬉しいことでした。

子ども食堂

ぶらくり丁に子ども食堂がオープンしています。本日、子ども食堂が開店している日だったので訪問しました。オーナーを始め関係者が揃って私たちを出迎えてくれて、「子ども達が賑やかで喜んでくれています」と笑顔で話してくれました。

各地で新しく子ども食堂がオープンしています。これも岸本知事が「各小学校単位で子ども食堂ができるよう県として支援したい」と政策で訴えた成果です。自然と岸本知事の話になり「和歌山県にとって残念なことです」と思い出話でお悔やみしました。

そして「新しい知事が誰になるか分かりませんが、和歌山県のことを思って行動してくれる人に出てもらいたいです。密室で特定の人が知事候補を決めるようなことはしないで欲しいと思います。正々堂々と戦って知事を決めることが和歌山県の将来にとって大事なことです。一部の人が決めた候補者を『はい、この人が知事候補です』と持ってくるような政治にしないでください。きれいな政治をお願いします」と話がありました。

子ども食堂は岸本知事の政策によって各地に出来ています。岸本知事は「子ども達が最高だと思える和歌山県」を目指していましたが、今年3月にオープンしたばかりの子ども食堂を訪れて、その意思がここに命を吹き込んでくれていると思いました。思いが形になっている現場を訪れることは嬉しいことです。

龍が如くコンサート
龍が如くコンサート

「龍が如く」コンサートを鑑賞しました。田村画伯の「青龍」の屏風絵の披露を兼ねて、津軽三味線と津軽太鼓の演奏を楽しみました。津軽の楽器のコラボは初めて聴きましたが、素晴らしくて感動しました。音のスピードを感じられる演奏は、聴いたことのない音色を奏でてくれました。「龍が如く」のテーマは「希望」で、希望を持つためには願いを持ち、それを叶えるための行動をすることを教えてくれるようでした。

またコンサート全体を通じて訴えたテーマは「生きる」で、人生の最期を看取る経験を有している奏者の思いが演奏と歌詞に詰まっていました。人生を見送ることは、その人の生と死を受け入れること。つまり受容の心であり、子どもなど親族が持っている覚悟です。

龍が如くコンサート

最近では病院や高齢者福祉施設で死を看取ることが多くなり、親族の死は日常生活から遠ざかっています。死期を迎えた人の人生を看取ってくれるのが高齢者施設の職員さん達の場合があり、職員さん達が感じた人生を演奏してくれているようでした。

人が「生きる」ことの意味を考えさせてくれた「龍が如く」コンサートでした。津軽三味線と津軽太鼓は、人生を考えるための支援をしてくれているように感じました。