活動報告・レポート
2025年4月25日(金)
国民年金受給者の生活の問題
国民年金受給者の生活の問題

白浜町で困っている人の支援をしている元町長から連絡を頂きました。町長、議員を終えてからも困っている人の支援活動を継続していて、県内を走り回っています。

今回は、白浜町内ホテルが集客できなくて運営に困っている件、留学生の受け入れの件の話がありました。これまでも本当に困っている人に対する生活保護のあり方や高齢者施設での生活環境など、若い頃に懸命に仕事をしてきた方々が高齢者になった現在の生活が「余りにも厳しすぎる」ことを訴えてくれています。その話の中のひとつの事例です。

私が若い頃に通っていた喫茶店があります。マスターは会社員を辞めて白浜町内で喫茶店を始めました。人柄もよくて働き者だったこともあり人気の喫茶店で、何時も常連さんが来て流行っていました。だから私はマスターを知っていますが、休むことなく一所懸命に働いていました。その後、白浜町へのお客さんが減少し衰退した時期があり、喫茶店は閉店したのです。そのマスターも今では後期高齢者となっています。

ここで問題なのが、あれだけ一所懸命に働いていたマスターですが、国民年金の掛け金が少なかったため、年金額はほぼ最低レベルの支給なのです。どれだけ流行っていたとしても白浜町内の喫茶店ですから、今思うとそれほど大きな売り上げではなかったと思います。

国民年金の掛け金も少額だったと思いますが、今受け取っている国民年金だけで生活はできないのです。古いアパートで生活をしていますが、アパート代を支払うと残りの金額では生活ができない状況です。掛け金が少なかったと言ってしまうとそれまでですが、昭和の時代の地方の商売で儲けられることはなかったと思います。

利益の中から国民年金を掛けていたのは老後の生活の安心のためだと思い働いてきたと思いますが、描いていた生活とはかけ離れたものになっています。これで良いのかと思っています。

同じように白浜町では私の親の世代は農家が多かったのです。小さな面積の田んぼで農業をしていた人が多かったのです。昭和初期のこの辺りの農地は荒地で両親は開墾しながら田んぼをつくっていました。段々畑の周囲に石を積むなど大変な苦労をしてきたことを知っています。そんなにして農地を作っても収益はさほどなかったと思います。もちろん田舎なので田んぼは売れませんし、売れたとしても安い値段でした。だから国民年金を掛ける金額も多くはありませんでした。こんな事情から現在、生活に困っている人はとても多いのです。若い頃に怠けていたから現在の生活に困っているのではなくて、一所懸命に働いてきたけれど生活が厳しいという皆さんなのです。

私が支援できることはないのですが、金額の多少に関わらず国民年金を掛けた人たちが、安心して生活ができない年金制度は間違っていると思います。

国民年金で生活が困窮している人で、私が相談に乗って関わっているのはこの方だけではありません。私が知っているだけでも何人もいますが、一人で抱えきれる問題ではありません。

東京にいると分からない地方の事情を国会議員は知っているのだろうかと思います。

と話をしてくれています。

その他
  • 歯科医師と口腔ケアについて話をしました。何度も説明を聴いているので口腔ケアの大切さを感じています。知ってもらいたい問題です。
  • 坂本つとむさんの全国ツアーの中で、関西に来てくれる日程について話をしています。応援をお願いいたします。