昨日、意識不明に陥り救急車で病院に運ばれ集中治療室で治療を受けていた岸本周平和歌山県知事がお亡くなりになりました。午前9時33分。享年68歳でした。心からご冥福をお祈りしています。

岸本知事は財務省からトヨタ自動車に勤務、退職後、和歌山一区から衆議院に出馬するために和歌山市に戻ってこられました。最初の出馬の時に挨拶に来ていただいたこともあり、当初から応援してきました。最初の挑戦は現職に敗れて落選。その翌日から毎日、街頭に立ち続け、二度目の挑戦を待っていました。当時の現職は「全国一強い」と言われていた方で、「二度目の挑戦も難しいのでは」と言われていたのですが、岸本さんは諦めることなく勝利を信じて立ち続けました。厳しい4年間だったと思いますが、駅や街頭に立ち続け二度目の挑戦の時を迎えたのです。
選挙戦最終日、JR和歌山駅で街頭演説をすることになり、応援に行ったところ「片桐さんも応援演説をお願いします」と依頼を受け、急遽、街宣車の屋根の上に立ち、応援演説したことを覚えています。あの時は駅前にたくさんの支援者が集まり熱気がありました。勝ち負けは分からなかったのですが、翌日の開票日に選挙事務所で待機している中、当選の知らせを受けて、会場内は歓喜に満ちたことを思い出します。あれから連続当選を果たし、令和4年12月の和歌山県知事選挙で勝利し県知事に就任しました。県知事選挙も応援したのですが、岸本さんが地元に戻ってきてくれることを嬉しく思い、知事になってからは政策論議や県議会一般質問で議論を交わして来ました。
岸本知事の答弁は自分の経験を交えながら答弁してくれたのですが、いつも分かりやすく前向きで、笑顔を交えながら真剣に答えてくれました。用意された原稿を棒読みするのではなくて、自分の言葉にして答えてくれたので、僕は議場でやりがいがあり質疑を楽しんでいました。議会の応援に来てくれた方の一人は「岸本知事は片桐さんとの質疑を楽しんでいるように見えました。きっと時期を得た質問内容に賛同し『一緒にやろう』という思いを持っていると思います」と話してくれたことがありましたが、僕も内心でそう感じていました。

毎回のように「私も片桐議員と同意見であります」など提言に賛同してくれることが多く、政策実現に向けて走っているように感じていました。
本日、寂しくて懐かしくて県議会一般質問のアーカイブを観ました。実は自分の登壇している姿を初めて見たのですが、本会議の雰囲気そのもので僕も岸本知事の発言もリアルに再現されていました。当たり前のことですが、議場の空気と熱量がここに閉じ込められているように感じて微笑みが出てきました。
令和7年2月県議会の僕の一般質問は3月5日でしたから、わずか一か月前のことです。画面で見た岸本知事は元気さがあり言葉に力がありました。そしていつものように趣旨を理解して前向きな答弁をしてくれていたので、質疑がかみ合っていて二人の質疑を楽しく感じました。毎回、当たり前に交わされていた議場での一般質問の質疑は、これから先も当たり前のように続くと思っていました。ですから岸本知事と交わした質疑は何度も続く中の一つ思っていたので、「もっともっと何度も、そして深く議論を交わしたかった」と思いました。とても寂しくて悔しくて、残念でなりません。

知事在任はわすが2年4か月ほどだったことを思うと無念でなりません。この先の和歌山県民の皆さんが笑顔で溢れ「和歌山県が最高と思える」ことを思い描いていたので、一緒に県土を創り上げていけると思っていただけに無念です。
岸本知事に最後に会ったのは、プロバスケットチーム「ワンリーズ和歌山」の表敬訪問の時でした。とても信じられません。
まだ心が重くて信じられない思いが満ちていますが、今はただ心からご冥福をお祈りしています。
