活動報告・レポート
2023年7月1日(土)
大谷徹奘師から学ぶ
大谷徹奘師の講話

ナームの会で、薬師寺の大谷徹奘師の講話を聞かせてもらいました。薬師寺と言えば高田好胤師が有名で、生前に一度講話を聞かせてもらったことがあります。そのとき「凄い方だな」と思いました。そんな薬師寺から大谷徹奘師が来てくれるので、この日を楽しみに待っていました。参加して「やはり凄い。こんな話を聞きたかった」ので感動しました。

今回のテーマは「心」です。

1.今日、私は大事な命を削って話をします。だから話を聞いてくれる皆さんと命を共有したいと思います。

→確かに、この時間を共有しているのは、大事な命を共有していることになります。大事な命を使っているのだから、無駄なことで、無駄な人の時間で使いたくないと思います。大事な人と命、時間を共有したいと思います。

2.私達はこんなに素晴らしい平和と安全をいただいています。この社会は一日で成り立ったものではありません。先人たちの取り組みの結果、平和と安全が保たれているのです。

→日本が平和で安全な国であり、世界から尊敬される国でいられるのは、これまでこの国で生きた人々の命で築かれてきたからです。平和を築こうとした歴史があるから、現代の平和と安全があることを忘れてはなりません。
もしもこの先に戦争が繰り返されるならば、現代を生きる私達の責任だということです。

3. 大谷徹奘師は17歳で仏門に入り、令和5年で44年目を迎えています。師は「人生を振り返ると瞬きしている間に過ぎている。どれだけ生きてもこれから44年も生きられないので、あっという間に終わってしまうと思っています。

→人生はかけがえのない一瞬の時間です。まだまだ時間がたくさん残されている年齢のときは、時間の大切さに気づきません。しかし残り時間が限られてくると時間こそ命であることに気づきます。時間とは命であることを意識して今日を生きたいものです。

4.私達は心を持っています。心の持ち方次第で幸せにもなるし、不幸せにもなります。要は心の持ちようなのです。

→心の向ける方向によって幸せに感じることも有れば、不幸せに感じることもあります。雨天だから気分が晴れないと思うのは自分の心です。雨天に不満を感じても雨を止めることはできませんから、心の持ち方を変えることです。事象は変えられないので心を変えることで幸せを感じたいものです。

5.私達が有している五官は外部に対して感じるものです。だから人のことは良く見えるので分かるのですが、自分のことは見えないのです。私達は自分の顔を直接見ることはできません。自分の背中も直接見ることはできません。だから自分のことは全く見えないので、自分が見えている人の悪口を言ってはならないのです。

→人の悪口を言うのは人のことが良く見えるからであって、決して自分が善人ではないのです。もし自分が見えたなら自分の悪口を言うのでしょうか。自分で自分の悪口を言わないと思います。だから他人に対しても自分に接するようにつきあいたいものです。

6.自分の手を動かせるのは自分だけです。他人が私の手を動かすことはできません。私に対して皆さんが大声で「手よ動け」と叫んでも、私の手は動きません。私の意思だけが手を動かすことができるのです。

→人の手も動かせませんし、人の心を自由に動かすこともできません。自分のこと以外のこと、つまり人を自由に動かすことはできないのです。自由にできるのは自分のことだけですから、私達の自由になる時間は、大事な自分の命のために使うことです。大事な命を使う対象は人のため、社会のためであることは言うまでもありません。

7.人間には我があり変えることは難しいのです。我とはこれまで生きてきた経験の結果だからです。但し我が強すぎると変化に対応できません。戦前と戦後では世の中が変わっています。コロナ禍以前と、その後では社会が変わっています。社会が変わっているのだから、自分が変わる他ないのです。

→「生き方を変えない」と言う人がいますが、それは我が強い人のことです。社会に適合できないばかりか、他人に不快な思いをさせています。これまでの生き方は肯定すべきですが、人に自分の生き方を押し付けるのはよくありません。我が強くて変化に対応できない人は孤立していきます。孤立は最も避けたい社会での立ち位置です。

8.小さな失敗でも目立ちます。大きな白い紙に一点の小さな傷をつけたとします。白い紙に本当に小さな黒い色があるだけでそこが気になります。失敗とはそんな傷に過ぎないのです。人はこの例のように失敗という傷を大きく感じてしまうのです。小さな傷を消すためには、それが気にならないだけの大きな成功をしなければなりません。成功を印象づけることですが、印象とは像のように大きな印を押すことを意味しています。

→人生における失敗は、本当は取るに足らない小さなことですが、白い紙の一点の黒色のように自分では大きく感じてしまうのです。実はたいしたことはないので、その経験を元に成功体験をすることで消すことができます。

9.心にとって大事なことは「経験」「体験」、「価値観」そして「生き方」です。「験」とは「しるし」とも読みます。心は生まれたときは真っ白ですが、日々の経験が心に刻まれていきます。心は自分自身なので、経験によって心が形成されていくのです。

→経験は心に刻まれているから、それを取り出すことができるのです。良いところでもあり、不便なところでもあります。心の中から失敗の経験を取り出してしまうと「また失敗してしまう」と思ってしまいます。残念なことに成功した経験も失敗した経験も心に刻まれているのです。

10.幸せの条件は「聴和」にあります。「聴和」とは人の話を聴くことです。かつては、本来、聴こえるものを聴くための道具のことを「聴和器」と言ったそうです。聴くとは、1401個のことを心で聴くことだという説があります。たくさんのことを聴いて人と調和が図れるのです。

11.「調和」の「調」とは「整える」ことであり、「和」は仲間がいることです。つまり仲間は心を整えなければ集まってこないということです。ところで「調」の読み方で「やわらぐ」という読み方があります。「和」も「やわらぐ」という読み方があります。
「調和」とは「やわらぐ」と「やわらぐ」でできているのです。

→「調和」と「聴和」。どちらも「ちょうわ」と読みますが、人にとっては両方とも必要なことです。
「調和」とは「やわらぐ」人と「やわらぐ」人との間で成り立つものです。どちらかが喧嘩腰だったり、相手を打ち負かそうと思っていると「調和」が成り立たないのです。つまり決裂することになります。
仲間は落ちていないので「調和」を図るよう、心を整える必要があります。そして相手の話を聴くことで理解できるのです。「聴和器」という単語を今日知りましたが、仲間をつくるためには、人の話を聴くだけの器が必要だと思います。

12.「思う」とは幸せの種です。そして「思い」とは価値観のことなのです。「思」を分解してみると、「田」と「心」に分かれます。田があることで食料が得られるので心が満たされるのです。「田」には水が必要なのですが、田植えをした経験がある人は分かるのですが、自分の「田」に水を貯えます。だから「思う」とは自分の心に水という経験を入れている状態なのです。
人の「思い」が分からないのは、その人の「田」に蓄えている水がどんな種類であるのか分からないからです。ここから発生する思い違いがトラブルの元になります。
人の「思い」が分かることで、その人の「田」から水が私の「田」に入ってくるのです。「田」の水を分かち合うこと、これが調和なのです。

→なるほどと思いました。自分の田にある水「経験」と人の田にある水「経験」は違うのです。同じ「田」でも全く別物なので、人は理解し合えないのです。だけど話を聴くことで人の「田」から自分の「田」に水が流れ込み「経験」を共有できるのです。トラブルはそれで回避できますし、トラブルが発生しても分かり合えるのです。

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