活動報告・レポート
2020年10月6日(火)
学習会
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先日、毎月開催している学習会の講師を担当しました。テーマは「神武天皇東征紀州編」で、神武天皇が和歌山県に入ってからの道のりを「日本書紀」と口碑によって辿りました。

今回、説明した内容は次の項目に基づいて説明を行いました。

  1. 「わかやま記紀の旅」
  2. 令和2年9月県議会一般質問
  3. 竈山神社の雄誥祭
  4. 太刀ケ谷神社
  5. 高塚の森

説明とそれに対する意見等は次の通りです。

1.竈山神社は神武天皇の長兄である彦五瀬命が祀られていますが、その命日が5月8日であることから、この日を「雄誥祭」としてお祀りしています。同神社で最も大切な日がこの日だとされています。
孔舎衛坂(くさえざか)で長髄彦の軍との戦いで流矢にあたって負傷した彦五瀬命は、その後、和歌山市の雄湊で崩御されたとされています。傷を負った彦五瀬命は雄湊から竈山神社の辺りに来て命が途絶えるのですが、「雄叫び」をあげたぐらいですから、傷が悪化したというよりも、とどめを刺されたと推測できると思います。弓矢が刺さった時に「雄叫び」をあげたと思いますが、竈山神社で絶叫したようには思えないのです。
推測ですが、当時の和歌山市には屈強な豪族がいて、地元への侵入者と争ったのではないでしょうか。傷を負った彦五瀬命にとどめを刺したのが地元の豪族であったと思います。それほど強い豪族がこの地にはいたと思います。

2.竈山神社の地名は和歌山市和田ですが、和田とは入り組んだ場所の意味があり、つまり竈山神社の辺りは、当時、入江だったのです。雄湊から和田まで海路で侵入したところに豪族が迎え撃ち、争った結果、この地で「雄叫び」をあげるような事態になったと推測しています。これが「雄誥祭」になっていると思います。
普通に考えると大和に入るのは紀伊半島を南下して熊野から入るのではなく、紀の川を上流する方が早道であり効率的だと思います。それができなかったのは、和歌山市、桃山町そしてかつらぎ町には屈強な豪族がいて紀の川を上れなかったと思うのです。争いを避けて遠回りになるのですが、敵の少ない南に下ったように思うのです。
この当時の状況が、彦五瀬命が竈山神社の辺りで「雄叫び」をあげたことにつながっていると思います。

3.大和に入り平定した神武天皇は、その後に紀の川を下ったと思います。豪族が支配していた紀の川筋の豪族を支配しないことには真の国家づくりにならないからです。まだ大和に入る前の神武天皇であれば紀州の豪族達は争うことが出来たと思いますが、平定した後なので歯向かうことは逆賊になるので、紀の川を下って来た神武天皇の軍に従った豪族もいたと思います。勿論、挑んだ豪族もいたと思いますが、所謂、豪族達は政治的判断を下したと思います。
神武天皇に従った者は争うことなく大和の国に受け入れられ、抵抗した者も首謀者を除いて許されたと思います。ここにわが国の基になっている「融合」があるのです。支配者も被支配者も「融合」されて大和の国に一体化されていくのです。余程の抵抗勢力の首謀者は別として、それ以外の民は受け入れられたと思います。ここに日本人に脈々と流れている「融合」の精神、「許して受け入れる」精神があったのです。
政治的に捉えると争いではなく融合策をとったことでこの区には形作られたと思います。これが日本であり日本人の心になっているのです。

4.イギリスの歴史学者アーノルド・ジョゼフ・トインビーは「神話を学ばなくなった民族は例外なく滅びる」と伝えています。神話とは国の成り立ちを示したものであり、その国の価値を示したものだからです。国の成り立ちや価値を直学ばなくなった民族は、自国への誇りを持てませんから、やがて滅びてしまうということです。
神話で伝えられていることは国民にとって辿るべき理想の行いなので、それは哲学であり生き様なのです。ですから神話は「あなたは何者」であるかを問いかけるものであり、この国で生きる者にとってあるべき姿を伝えようとするものです。ですから神話に学ぶことは生き様を学ぶことであり、「記紀」はわが国の啓蒙書であるといえます。

説明に基づいて、以上のような意見交換を行いました。このように現代人が「記紀」から学ぶことがあります。

中でも「融和」は日本人が持ち得る優れた精神であり、それはわが熊野に宿る精神でもあります。神仏統合もそうですし、全てのものを受け入れる精神を持っているのが熊野信仰です。「高野熊野」が世界遺産に認定されているように「融合」は世界が認めた日本の価値なのです。

学習会は「記紀」を教材として学びましたが、表面をなぞるのではなく「記紀」に込められた精神を読み解く機会となりました。改めて素晴らしいメンバーが参加している学習会だと感じています。皆さんのお陰で講師を務められたことに感謝しています。

その他
  • 和歌山市内の地域開発についての依頼、入院を希望している方との日時調整、お世話になった方との懇談などを行いました。