活動報告・レポート
2017年3月22日(水)
南紀熊野体験博
防災研究会

防災研究会の会合が開催されました。今回で3回目となりますが、和歌山県の防災につながる活動をするため地域の課題を話し合い、どう対応していくべきかを考えています。

今回は防災ラジオの有効性や小学生が持っていれば役立つ防災グッズ、女性の視点に立った防災用品や避難所での必要なものなどを検討しました。

検討の視点は事前復興を考えておくことにしました。大災害に備えることと災害が発生した直後から復興に向けた動きを取れることを日常から考えておくことが大切だと共に認識しました。避難して終了ではなくて、避難した直後から復興への道は始まっていることを意識すれば、事前に準備しておくべきことや避難所での行動につながってきます。

また防災士の有資格者から、この資格者を養成することも和歌山県の課題であると指摘がありました。防災士は災害発生時には地域の避難所に入り、避難者と行政をつなぐ役割や、避難者へのアドバイスや必要な情報の提供などを担ってくれる役割を持っています。

和歌山県では講習会を開催し、資格者の養成を図っていますが、希望者に対して要請人員が限られていることが課題だと聞きました。県民の皆さんの防災意識が高まっている中、防災士の資格を取得しようと申し込んでも、応募者が多いため受講するための倍率が高くなっているようです。そのため地域の防災に役立とうと思っている人が講習を受講できない環境になっていることを聞きました。

和歌山県として地域に防災士が必要だと思いますから、早急に、そしてできるだけ多くの人材を養成することが必要だと考えます。災害発生直後は地域力が二次災害を防止するために大切になります。避難所運営のリーダーとして、二次災害から被災者を守るためにも防災士の養成を求めたいと考えています。

また災害に備えておくインフラとは、主に電気、水道、ガスを指しますが、大災害発生時の場合、電気、水道、ガス、ラジオがインフラだと思っておきたいものです。非常時には地域の情報がとても大切になってきます。過去に大災害が発生した時、地域ラジオがどれだけ被災者に勇気を与えてきたことか。ラジオから流れる最新の情報、地域の動向、勇気を与えてくれる言葉などを放送してくれるラジオ局が地域に存在して欲しいと思います。

和歌山県内には地域の情報を流してくれるラジオ局が存在していますし、それぞれのラジオ局が和歌山県と防災協定を締結してくれています。

大災害発生時には通常番組の放送から、それぞれの地域の災害情報の放送に切り替えてくれることになっています。この協定が地域に対してどれだけの安心感を与えてくれているのか考えるとラジオ局の存在は大きいと感じます。

そして女性の視点からの防災対策についてです。東京では防災ガールという取り組みがあることを紹介してもらいました。日常から備えておくべきこと、防災意識向上のための取り組み、そして非常時への対応など、女性が防災対策に関わってもらうことが大切であることを話し合いました。

次回は、今回取り上げた課題と対応策を具体化させるような会合にする予定です。

南紀熊野体験博

ジャパンエキスポ南紀熊野体験博が開催されたのが1999年だったので、早いものでもう18年も経過しています。準備を始めたのが1年前の1998年でしたからその時点から数えると19年目が経過していることになります。当時の40歳代の人達が定年を迎える時期に差し掛かり始めました。当時、将来の和歌山県を支える若手職員さん中心に組織した実行委員会でした。僕は、その時に経験を重ねた人材が和歌山県を支えてきた経過を見ていますから、結果系で見ても良い博覧会だったと思います。

地域に活力を与え、文化を残し、そして人材を育てるという大きな役目を果たしていると思います。当時の若手職員さんが今では和歌山県庁の主役となっている姿を見ていると楽しくなります。「頑張っているなぁ」だとか「苦労しているなぁ」など思うことがありますが、過去の経験を糧にして和歌山県全体を鳥瞰した仕事をしているように映ります。

懇親会

もう一つ思うことがあります。どんな組織でも、会社の部課でも、同じ職場でいる時は一緒に懇親する機会がありますが、職場が離れてしまうと同じメンバーで集まる機会が少なくなっていきます。ところがジャパンエキスポという大きな仕事を担った実行委員会メンバーは、19年が経過しても集まる機会を持てています。これは極めて稀なことであり、職場を離れても集まれる関係でいることを嬉しく思います。

これは同じ目的を持って仕事をしていた証拠であり、同じ時間を共有していた歴史でもあります。歴史になるような仕事に携われたことは幸せなことであり、人と人とのつながりを残せたことは大きな財産になっています。

形のあるものはやがて崩れていきますが、形になっていないものは心の中で、時にはあの時のまま、時には成長しながら残っています。この形になっていないものが財産なのですが、なかなか得られるものではありません。

こんな財産を確かめ合う機会が数年に一度の集まりの場であり、懇親する機会でもあります。まだ見ていない21世紀の価値作りを目指していた20世紀に一気に戻ってしまう力を持った集まりだと思います。過去に戻れる時間、今を輝かせてくれる時間を持っていることの幸せを感じることができました。

今回の参加者は約30人ですが、何年経ってもこれだけの人が集まることは凄いことだと思います。同窓会のような懐かしさと楽しさを感じました。懇親会は当時の所属班と役職名で呼び合い、あの頃に戻ったような気がしました。

会の冒頭に挨拶をしてくれた垣平局長はあの頃と変わらず、威厳があり教訓になるような話をしてくれました。あの頃にこの仕事をしたというものを心に持っていることは幸せなことであり、無事に卒業できることは何よりも大切なことだということです。やりがいのある仕事に携わり、現役を卒業できることは簡単なようで難しいことだからです。

懇親会

そして垣平局長は開会式を一か月後に控えた頃、メイン会場を見て、ふと不安になったことがあったそうです。その時、当時の部下だった和歌さんに「大丈夫か」と尋ねたところ、和歌さんは「大丈夫です」と言い切ったそうです。この言葉に局長は安心感を覚え、「やれる」と思ったそうです。上司に安心感を与えられる部下の一言の凄さを感じることが出来ました。

また博覧会開会の一年前のゴールデンウイークの時期、垣平局長のところに当時の部下7人が来て、「このままでは博覧会はうまく行かないと思います。広告代理店などの力を借りずに自分達でやりましょう」と話したそうです。その時に局長は「自分たちでやると覚悟を決めた」そうです。

それから一年後に開会し、一年半後に閉会、翌年の3月末で実行委員会を解散したのですが、最後まで局長に進言した7人は局長を支え、博覧会の中心的役割を果たしたということです。「信頼できる数人がいれば大きな仕事をやり遂げられる」ことを局長は伝えてくれました。

あの時のエピソードを話してくれましたが、全てのことが懐かしくて楽しい懇親会となりました。

ところで数人の方の話が心に届きました。一人は3月末で県庁を定年退職する幹部職員さんです。常任委員会での退任の挨拶は、南紀熊野体験博のことを話したそうです。県庁職員生活の中で最も印象に残ったのが、体験博の仕事だという話をしたことを聞かせてもらいました。

また一人の幹部職員さんからも「これまで約30年、県庁で仕事をしてきたけれど、南紀熊野体験博の仕事が最もやりがいがあり、楽しかったと思います。これからの県庁の仕事で、これ以上の仕事に携わることはないと思います」という話をしてくれました。そして博覧会のプレイベントをやり遂げた後、涙が出てきたことを教えてくれました。涙の理由は「これだけの準備期間を経て、しっかりとした企画に仕上げることができたのだから、失敗することはない」と思い、これまでの準備期間の辛さと苦労を思い返して涙が溢れたそうです。通常、博覧会などの大きな企画の準備に要する期間は3年、1,000日と言われています。この体験博の場合、準備期間は1年、360日程度でしたから、如何に詰め込んだ仕事をしたかが分かります。3年分の仕事を1年でやり遂げて、本番を迎えることになったことから感慨深いものがこみ上げてきたのです。一緒に仕事をした一人として、この時の気持ちは良く分かります。

そして中堅の職員さんは「現在の仕事は大変ですがやりがいを感じています。これだけのやりがいを感じられるのは南紀熊野体験博以来のことです。こんな仕事に巡り合えたことは嬉しいことです」という話を聞かせてくれました。

そして僕は最後の挨拶を務めさせていただきました。

楽しい時間は直ぐに過ぎ去るもので、もう10時になっています。本当に久しぶりの集まりでしたが、何故か毎日のように顔を合わせているような、しかし懐かしいような気持になります。このように不思議な感覚がありますが、同じ期間、同じ仕事に携われた仲間が今もこうして集まれることは幸せなことです。二人の先輩から「委員会での挨拶で博覧会の思い出を話しました。一番やりがいのある仕事だったからです」、「県庁生活で最も思い出に残る仕事でした」と話してくれたように、やり遂げた中で最も凄い仕事だったと思います。

振り返ると、これまで楽しい職場や同僚との出会いがあり、その時、その時、懇親会などを実施してきましたが、職場を離れた後も集まっている機会はありません。実行委員会を解散してからも集まる機会を持っている職場と仲間は、他にないと思います。この仲間との思い出を大事にしたいと思いますし、これからも節目の時に集まる機会を設け、博覧会のことを語り継ぎたいと思います。

さて当時、新入職員だったK君も42歳になっています。定年退職まで18年です。ですからK君が定年退職する時に最後の実行委員会の集まりを行うことにしたいと思います。最期の一人が卒業する時まで集まりは継続することになると思いますので、それまではどうか元気でいて下さい。本日は楽しい時間をいただきありがとうございました。

素敵な時間が過ぎていきました。南紀熊野体験博実行委員会の皆さんに感謝しています。